konnoe’s blog

読書と旅が趣味。人生に疲弊してみたり、希望をもってみたり、、、

長く主張ばかりしてると疲れる~アイスがうまい

ステーキ記事とほうじ茶記事

ブログをこの7月8月は毎日のように更新しようと思ってるけど、なかなか気分が乗らない時がある。
どんな時かというと、自分の中で「長い記事を書いた時」と「主張を強く書いた時」。たぶん、ブログを書き疲れてるのね。このブログの一番の愛読者は私自身だと思いますが、私もそんな記事ばかり読んでたら疲れる。
ブログの記事ってステーキのようにボリュームある記事*1も大事だけど、食後のほうじ茶みたい記事もいるんだと思います。

アイスがうまい

というわけで、ほうじ茶記事。ここ最近ハマっているアイス。
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下のブログさんのレビューが詳しいので読んでみてください。私は上の方のアイスの薄ーくなってるチョコの層のパリパリ感が好きだ。上の画像でいう「カカオ72% チョコレート」って書いてあるところです。

konbinichoco.com


夏にクーラーガンガンにしてアイス食べてる時って地味に幸せですよね。ブログ書き疲れた皆さん、アイスでも食べましょう。

*1:素晴らしい記事という意味ではなく、「作者が勝手に思い入れをもった長い記事」程度のニュアンスで。だから胃もたれもするよ!

人生をマウンティングしあうこと

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友達と飲みに行った話

同年代と友達と飲みにいった。「仕事を辞めた子」や「仕事を辞めたいと思っている子」が多いこと、多いこと。かくいう私も過労がたたる毎日で、特にここ数年は「もう生きていけない!」というくらいになっていたので、本当にこの気持ちがわかる。理由はいろいろあると思う。単純に過労で疲れ切っているのかもしれない。年代的に生き方について考える転換期なのかもしれない。結婚とか出産とか。それに今の このご時世、一つの仕事だけで生きていくなんて考え方自体が古いのだろう。去年、仕事を辞めた子は働いたり、休んだりを繰り返したりをしながら、生き生きしている。「仕事やめて良かった!」そんなものだ。とは考えつつも、私自身は「仕事やめたいと思ったときにやめてなくて良かった。」と心から思って働いている。(数年前の仕事をやめたいと思っていた過去の私にこんなこと言っても信じてくれないけど)

この生き方が正しい論争になりがち

で、ある友達が「今の仕事が嫌いなわけではないけど、割に合わないからやめたいんだけど、別にすることもないし、好きなことだけで生きていける気もしないし、結婚も今の彼氏(パートナー)とするのはどうかなと思ってるし…」みたいな話をし始めた。この手の話が長くなると、お悩み相談から一転して、マウンティング大会になる。親切心から「こんな生き方したらいい」、「これをすると素晴らしい人生になる」って提示するけど、それが他人の生き方をぶった切っているみたいな…。わかりやすい感じだと

  • 仕事せずに自分の好きなことだけして生きていくのが人生の最上
  • 仕事に誇りをもって仕事によって自己実現を果たすのが人生の最上
  • 愛する人と結婚し、子どもを育てるのが人生の最上

などなど。そして「それ以外の生き方は不幸ですよ」みたいな言論に陥るわけです。盲目的に無自覚に自分の生き方が最上であることを信じていて、それを押し付けられるのも嫌だけど、「私の方があなたより上の幸せを持ってんのよ!」っていう対抗意識のみで押し付けられるのが一番嫌だ。で、大体、嫌な気分で飲み会が終わるというパターンよくある。ある。でも、この時のメンバーは、あまりマウンティングしない人たちだったので、むにゃむにゃっと終わった。

マウンティングが嫌いだ

とにかく私はマウンティングする人が嫌いなので、こういう「人生の幸せはこうだ」っていうマウントの取り合いで、自分の生き方に干渉されたら、めちゃくちゃムカつくし、惨めな気持ちになる。怒りや辛い気持ちを何日も引きずるタイプ。人間だれしも(?)「自分で自分のことを否定するのはいいいけど、てめぇに言われかねぇよ!!!!」ってことは往々にしてあると思います。いくら悲惨であっても、自分の今の人生を他人に否定されたくないもんじゃないでしょうか。これからの生き方に悩んでいる人に親切心で言っている人も見かけるけど、マウンティングしながら困っている友達に新しい人生論を提示しても「ああ、あの生き方したいな」なんて思わないと思うんですよ。マウンティングなんて無視すればいいし、「ああ、あなたはそう考えてるの」でいいのに、なかなかそれができないから人間やっかいですね。

強迫観念「幸せにならなきゃ」

最近よく思うんだけど、そもそも社会全体が「幸せにならなきゃ」欲求激しくないですか。私自身もそうで、幸せになる方法とかを常に検索したり、考えている(この記事とかも:幸せについて2014 - konnoe’s blog)。本もそんなのばっかり読んでる。「幸せになるためのたった一つの方法」とか「これをすれば人生うまくいく!」みたいなのは、すぐ食いついちゃいますね。最近ではなく人間は、「人生とは何か」「人はどう生きるべきか」なんてことは、何百年も前から考えているとは思いますが。

幸せな人生論を追求し続けると生きづらい

「幸せな人生」を考えること自体は素敵なことだとは思いますが、それが行き過ぎると「生きづらい」と思います。少なくとも、私は生きづらい。「より幸せな人生がある」というのは、希望でもあるし、一種の絶望でもあると思う。今の人生を否定しなきゃいけないわけだから。どんな悲しい生活をしていようとも、今の人生を否定しながら生きるのはしんどいっすよ。自分の今の人生を心から肯定できているなら、前に進めると思う。でも肯定できない人がマウンティングされたり、「より幸せな人生」を提示されたところで辛いと思う。もう、そんな時は「幸せな人生であるべき」ってことさえ捨ててしまったらいいんじゃないかな。「怒り狂う人生でもいいじゃないか。」「卑屈に打ちひしがれる人生でもいいじゃないか。」って。それくらいの心意気で自分の人生を肯定していったらいいんだと思う。もうこの世にはいない人で、無念のうちに死んだ人もいると思うけど、じゃぁ、その人はいわゆる成功した人より人生の価値が下ってわけじゃないじゃない?だから、どんな人生でもOKなのよ。極論「幸せな人生」じゃなくても。もちろん人に迷惑をかけるような人生はよくないし、理不尽に怒り狂ったり卑屈な人生を送らなきゃいけないのはおかしい。だから、それとは闘っていったらいいと思う。でもそののことと、あなたの人生に価値があるかどうかは別の次元の話だと思うのよ。

人生の上も下も勝ちも負けもない

言い古された言葉でさびが付いていそうな言葉だけど、人生は競争じゃないということ。マウンティングしあう限り、自分より格上だとか格下だとか、勝ったとか負けたとかそんな論理で考え続けなければならない。
なんとなく長田弘の「We must love one another or die」という詩を思い出した。この詩の内容はぶっちゃけよくわからない。愛することを愚かなこととしつつ賛美しているのだとしたら、私は別に人を愛することが最上だとも愚かだとも思わないので共感はしにくいが、言葉の一つ一つには共感できるものがある。

不正確というより不誠実だ、と。
たぶん、そうだと思う。
わたしたちは、そのように
愛について、また、死について、
糺すように、書くべきでない。

愛、死も、人生も糺すように書いても仕方がない。

人生は受容であって、戦いではない。
戦うだとか、最前線だとか、
戦争のことばで、語るのはよそう。

人生の勝ち組、負け組なんてナンセンス。見えない誰かと戦うのはやめよう。胸を張れるような人間にならなくても、愚かな人間でもいいじゃないと励ましてくれているように思える。この詩はこんな風に終わる

わたしたちは、
愚か者として生きるべきである。
賢い愚か者として生きるべきである。


なんか自分の中でマウンティングされる人生についての結論が出そうだけど、まだ考えがまとまってないので、この詩を引用しながむにゃむにゃ終わる。
いつか社会のマウンティング問題に終止符を打ちたい。

自分に合うカウンセラーを探そう

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カウンセリングを受けよう

私は、数年前から定期的にカウンセリングを受けています。
受ける前の私は「そこまで辛くないからカウンセリングとか受けなくていいや。時間もないし。」と考えていました。で、数年後「めっちゃしんどい事態」に陥り、カウンセリングを受けることになりました。で、回復した今思うのは、『少し辛い』でも、カウンセリングを受けた方がいいということです。もっと言うなら、全然しんどくなくても、対人援助職に就いている人(将来的に就こうと考えている人も含めて)は、カウンセリングを受けてもいいと思います。スーパーバイザーの役割をしてくれますし。対人援助職でなくても、何か生きづらさを抱えているなら(例えば自分は機能不全家族で育ったとか自覚がある人)が、気軽にカウンセリングを受けれる環境があれば本当はいいと思います。
でもカウンセリングは「全然(心理的に)しんどくない」と思う人も受けたらいいと思います。理由は、無意識の抑圧でそう考えている人もいると少なからずいると思うからです。「こんなことで根をあげてはいけない」「他人に頼ってはいけない」…そんなことを考えている(意識上ではなく、無意識でね。)人がたくさんいると思う。病休とったらいいのに、それさえできない(できないというか選択肢がない)というような昔私みたいな心理状態の人、結構いるでしょ?「頑張れてるんだったら、いいじゃん」と思うんだけど、いつかパンクしてしまいますよ。何かのきっかけでカウンセリングを受けて、自分の心の状態に気づける人が増えたらいいなと思います。日本がカウンセリングを受けない文化であるだけで、欧米では「心の調整」くらいの気持ちで受けに行く人も多いみたいですね。
www.digital-health.jp
なんでもかんでも欧米のマネをしろとは心から思いませんが、カウンセリングが生活に根付いているのは、純粋にいいなぁと思います。


私のカウンセラー

私が信頼していて、よく話を聞いてもらったり、心理療法を行ってもらっているカウンセラーは3人います。

  • Aさん

基本(?)のカウンセラー。何かがない限り、基本的にこの人のカウンセリングを受けます。話を聞いて、その後心理療法を受ける流れが多いですね。交流分析を基にした理論で行っていて、イメージセラピー、箱庭法、ゲシュタルト療法などいろいろしてもらえます。心理学の講習もしているので、定期的にそちらにも理論を勉強に行きます。人気カウンセラーなので予約が取りにくいのが難点。

  • Bさん

職場の保険で年3回だけカウンセリングしてもらえる有名な先生。カウンセラーというか心療内科医。認知行動療法のやり方で、気持ちを整理してくれます。

  • Cさん

Aさんも、Bさんも無理な場合の緊急避難所(?)。話もそこそこに、心理療法にいきます。イメージセラピーが主かな。


本当は一人の方に固定した方がいいのかもしれませんがね。まぁ、でも物理的に無理なんだから仕方がない。


自分に合うカウンセリング(カウンセラー)の探し方

私はこの3人に行きつくまでに、あと何人かのカウンセラーのところに行きましたが、合わなくてやめました。
値段とか場所とかいろんなことを考慮して、カウンセラーを選ぶと思いますが、このあたりを気にしてカウンセラー探しをしたらいいんじゃないかという点をあげようと思います。

①基本的なことがちゃんとしているかどうかを見極める

自分がカウンセラーじゃなくても、カウンセラーがきっと大事にしなきゃいけないことって想像できると思うんですけど、それさえ守れていないところは結構あるな~と思ったのが、いろんなカウンセリングに行ってみて思ったことです。たとえば、、、
守秘義務を守らない
他人がいる前で(むしろ他の人に会うような形になっているのがおかしいと思うんだけど)自分の内情を話されたりとか…。あと、壁が薄かったり、次の待っている人に合わなきゃいけないとかいうのももうちょっと気を使ってよね、って思う。
・受容しない
ひたすら説教型のカウンセラーも1人遭遇しました…。怒ってほしいならもっと別の場所にいくよ!って話です。怒りはしないけど、ひたすらアドバイス型ってのもあったな。「いや、まずこっちの話聞いてよ!」みたいな

でも、私はド素人なので、そういう「守秘義務守らない系カウンセリング」とか「説教カウンセリング」とか「ひたすらアドバイスカウンセリング」とかいう手法もあるのかもしれない。とにかく、私には合わなかった。


②カルテを丁寧にとっている

何度も同じこと聞くカウンセラーがいました。もちろん意図的に聞いてくる人もいますけど、それを考慮してもいろんなことを何回も訊いて、それが初めて聞いたかのようにいうのはちょっと…。さらに事務的なことで何度も確認があるのあ、商売人としてアカンよね。カウンセリングを受けるクライアントは、混乱している人も多いと思います。カウンセラーがそれを聞き取り、どういう方向性で解決に導いていくかをしっかり考えていくためには継続していろんなことを考える必要があると思うし、その時にカルテはどうしても必要になってくると思います。その場では適当に走り書きとかしていても、2回目に行くと「ああ、この人カルテちゃんと、とってるわ」ってなんとなく肌でわかると思います。

③フィーリング

ま、すべてはこれですよね。話し方とかしぐさも含めてすべて。

他にもその人がどんな理論や理屈でカウンセリングしているか知るのも大事だと思います。私は今のカウンセラーのAさんが合うっていうのもあったと思うんですけど、その人の根底にある交流分析の考え方があっていたのもあると思うんです。選ぶときに、そんな視点を入れてみるのもいいかもしれませんよ。スピリチュアルな感じが好きなんだったらそれもそれでありだと思います。私は頭が固いので理屈ガチガチの方が好きです。だから、私は上にあげたCカウンセラーときに、交流分析を理論として心理療法を行っているカウンセリングを探したので、この人にはすぐヒットした気がします。ただ、私自身は認知行動療法はどうかな?と思っていたのですが、Bさんのカウンセリングを受けるとすっと気持ちが楽になるのもあるので、それにとらわれすぎるよくないのかもしれません。

あと、私は自分が心のことで苦労した人の方がいいと思っています。共感率が高い気がする。あと、その人が今いろんな気持ちの制約とかから解き放たれて生きている姿がクライアントの希望になると思うんですよ。ただ、まだ自分の問題が明らかに解決してないよね?みたいなカウンセラーは注意。共依存みたいになっちゃうし。

④自信はあるけど、過信していない人

別にこれはどの職業にも言えるけれども、実践を積んだうえでその仕事ができる自信があることは大事だと思う。ただ、それゆえに、自信過剰に自分のことを過信しすぎている人は信頼できない。「私は昔しんどい思いしてたけど、今は全然大丈夫」「私はこれまで病んだこともないので安心してまかせて」とか言いながら、「いやいや、どう考えたってあなた自身に心理的に問題あるでしょ」って人もいる。カウンセラーなので、自分自身が真の意味で心の安定を図れていて、かつそれをチェックしている(たとえばスーパーバイザーがいるとか)まで意識的にしている人ならいいなーと思う。


カウンセラー選びをあきらめないで

私は今のカウンセラーに落ち着くまで結構いろんなカウンセリングをめぐりました。嫌な気分になったところも多く(自分自身も精神的にしんどかったのもあるし)、もうカウンセリングに行くのやめようと思ったりもしたけど、カウンセラーとの相性ってやっぱりあると思うので、いろいろ行ってみたら出会えると思います。もちろん今のカウンセラーに全く不満がないわけではありません。(私自身の心理面で解決してないところが、そうさせている部分も含めて。)でも、今私に関わってくれているカウンセラーは、私の痛みを心からわかってくれて、かつ私自身が自分の力で明るい未来を切り開けることを信じてくれています。きっとあなたにも、あなたの未来を、あなたの力で切り開いていけるように手伝ってくれるカウンセラーは必ずいると思います。あきらめずに探してみてください。

お気に入りの美術館 その1

美術館は好きですか?私は、大好きです。私の現実逃避スポットの三本の指に入ります。(あと神社仏閣とインターネット)。昔の美術館に行った写真を見直すだけでも、いい気分になれます。というわけで今日は私の「お気に入りの美術館」を紹介します。

「お気に入りの美術館」とは何ぞや

その美術館が好きな理由は、人それぞれいろいろあると思うんですが、私の場合、主な理由は

①好きな作品がある
②雰囲気がいい
③いい思い出がある

の3つです。
なんかそれがいい具合にまじりあって、好きなんだと思います。あ、でも上の項目のうちどれか1つだけでも良すぎたら、盲目的に愛せるという感じでもあります。
では、さっそく紹介していこうと思います。今、頭の中で思いつくだけでも結構あるので、書ききれないかもしれない…





1、岩手県立美術館

http://www.ima.or.jp/
NHK日曜美術館で、舟越保武の特集をしていて、その作品に興味を持ったのがここに行くきっかけ。もっというと、舟越保武に興味をもったのは、もともとその息子の舟越桂の作品が好きだったんです。
ちょうどその年に東北に旅行に行く予定があって、舟越保武の作品が収められているこの美術館に行きました。
今、調べて初めて知ったんですけど、「たつこ像」も舟越保武作だったんですね。知らなかった(無知すぎる)。同じ時に田沢湖も行きました。

舟越保武感ある?



その時の旅行では、当初、この美術館に行く予定になかったんですが、調べれば調べるほど行きたくなっちゃって、強行で車を飛ばして向かいました。


岩手県立美術館は、萬鐵五郎、松本竣介舟越保武ら、郷土の美術家たちの作品群を中心としたコレクションがおさめられています。
岩手県立美術館は中も落ちついた感じで、舟越保武目当てで行きましたが、それ以外の作品もとっても良かったです。でも、やっぱり舟越保武が良かった(参考:所蔵品・蔵書-舟越保武 | 岩手県立美術館)!
「原の城」なんかは、前に立つとその何とも言えない雰囲気に息をのんでしまう。行くまで長崎でしか見れないと思ってた「長崎26殉教者記念像」が4体もあって、舟越さんの作品の中で一番見たかったものだったので、嬉しかったなぁ。
いつか長崎に見に行きたい。

舟越保武といえば、少し前に巡回で「舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに」をやっていたんだけど見に行けず。行きたかったなぁ。You tubeにあったので参考に。

練馬区立美術館 舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに


練馬区立美術館 舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに
You Tubeで見てもいいんだから、実際はもっといいですよ!







2、十和田湖現代美術館

http://towadaartcenter.com/

草間彌生ロン・ミュエクなど世界で活躍する33組のアーティストによる作品が収められています。個々の展示室が一つ一つ独立した建物で、それらがガラスの廊下でつながっている作りになっています。

違う角度から撮った写真です。わかるかな↓馬が邪魔…

写真を見てもお分かりの通り、カラフルだったり、ポップだったりと親しみやすく、見てるだけで楽しい気分になりますね。私が行った日(真夏)は冷房の効きが悪かったとか、1番近い駐車場は10台しか止めれないとかマイナスポイントを忘れるくらい、外も中も楽しいです。


いろいろ作品がありますが、私は、ロン・ミュエク「スタンディング・ウーマン」が一番好きです。
towadaartcenter.com
この大きいおばちゃんを見るために十和田湖に行ったってもんです。近くで見るとしわとか髪の毛の一本がリアルですごい。大きさもすごい。そのせいか、存在感がすごい。すごい、すごい、すごいってどれだけ語彙が貧困なのかって感じなのですが、とにかくすごい(まだ言う)。

窓に顔を向けた彼女は、通り過ぎる何かを追いかけるように視線を走らせ、観客と目を合わすことはありません。けれど、刻々と移り変わる自然光を浴びた彼女は、見る角度によって様々な表情を見せ、やがて彼女の人生や人の生死について想像をめぐらすことになります。ただモノとしてある彫刻ではなく、その背後に多様なストーリーを喚起させる存在です。

と説明書きにもあるけれど、いろいろ考えさせられるというか感じさせられる。スーパーモデルみたいな人ではなく、よくいる感じのおばちゃんってとこがなんとも不思議な、近しいような、でもこれだけ大きいからやっぱり奇妙で。とにかく不思議な気分になります。


建物から出て、道をはさんで向こう側にも作品があります。

「Arts Towada」という「官庁街通りをアートにしてやろうぜ」という計画のようです。

草間彌生感たっぷり。

こんなんもいるよ↓

野外トイレもあるのでぜひ入ってみましょう(期待して入った割に普通だったような…)。





3、青森県美術館

http://www.aomori-museum.jp/ja/
東北が続きます。

この美術館は、お隣に「三内丸山縄文遺跡」があります。建物も発掘現場から着想を得て、設計されたらしいです。
館長の挨拶にも

青森県立美術館は、2006年7月13日の開館以来、青森県の豊かな芸術風土や隣接する三内丸山遺跡に象徴される縄文のエネルギーを芸術創造の源泉ととらえ、多様性に富んだ芸術の魅力を青森の地から発信してきました。

とあります。縄文のエネルギーって、なんかすごそう。ということで、この美術館は三内丸山遺跡を見た後、縄文のエネルギーを感じながら見るのがベストなのかもしれません。ちなみに私は飛行機の時間がなくて行きそびれました。(そして、それは上に紹介した岩手県立美術館に突如行って、すべての旅行の予定を狂わせたせいだったりします。)いつかリベンジしたい。

館内には、菊地敦己棟方志功、関野凖一郎、工藤甲人寺山修司成田亨奈良美智など個性溢れる郷土作家のコレクションがあります。個人的には奈良美智感がすごかったような(大型の作品が多いからそう思ったのか。)前後で、先に書いた十和田湖美術館に行ったので、どこいっても「奈良美智!」って脳内に残っている。

そしてここに来たらこれは見たいよね

あおもり犬。

お昼は美術館の中の「cafe 4匹の猫」でいただきました。

美味。「いい美術館は、カフェもいい。」私の持論です。


まだまだ、お気に入りの美術館はありますが、疲れたのでここで一回切ります。いつかまた続きを紹介したいと思います。

東北のおすすめ美術館になってしまった。まぁいいや。

プロフィール画像を変えました

台風、どれだけくるねん!って話ですね。怖いので早めに帰ってきました。まだ、帰宅途中の方、帰宅しても危ない方々、くれぐれもお気をつけくださいませ。

プロフィールの更新

早めの帰宅で時間があったので、プロフィール画像を変えることにしました。
今までプロフィール画像には、「斜陽館」の写真にしてたのですが、別に太宰治が好きなわけでもなく、なぜしているのか自分でもわからなかったので、変更することにしました。
ちなみに、太宰治は普通に好きです。太宰ファンって熱狂的な人が多いので(私の周りだけか?)それに比べれば好きじゃないって感じです。
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話はそれ続けますが、「斜陽館」良かった。子どものころからずっと行きたかったので、行けたときの感動と言ったら!建物の雰囲気も良かったわ~


プロフィール画像変えるだけで四苦八苦

話を戻します。プロフィール画像を変更する話。
プロフィール画像を編集しようと思って、画像処理ソフトを立ち上げようと思ったらすべてライセンス切れてるし、新しいソフトをダウンロードしようと思ったら、「グーグルのパスワードが不正に使われている可能性があります、パスワード変えよう」とか言われるし、、なかなか前に進まない。
もっと見やすいのにしたかったのですが、疲れたのでこの辺で置いておくことにします。

疲れたけど、プロフィール画像を大きくする方法とか勉強できたので、アリかな?



ホットワードを上げてみた

プロフィール画像書いたついでに、ブログの右端のプロフィール画像の下に書かれている文言も変えることにしました。
いろいろなブロガーさんのプロフィールを見てると、自分の立ち位置のはっきりしているブログってやっぱり興味もって読みやすいですよね。ということで、自分自身の立ち位置がイマイチわかんなかったので、自分の中の「ホットワード」を挙げてみることにしました。「いつか記事にしたいな~」とか、最近思索していることを書いてみました。これで私の考えている(考えていこうとしている)ことがなんとなく訪問してくださった方に伝わるはず。ブログのコンセプトについてずっと考えているので、このホットワードたちがキーワードになりそう。

追記
よく考えたら、スマホ版からの表示では、プロフィールに書いてあることが違うんですね。スマホ版のプロフィール画像の下の部分は、はてなブログproじゃないと編集できないんですね。悔しい。そこまで広告が多いわけじゃないので、proにする必要性を感じていなかったのですが、これはproにしたい!
ちなみにこんな風に書いてあります。



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ブログの外堀を作るのはほどほどに

昨日の記事で「はてなブログを始めてからブログ書くのが楽しくて、今までこんな経験なかった!」と!いうような趣旨の話を書きましたが、今日、久しぶりに「ブログってめんどくせーな」と思いました。私の場合、ブログの体裁整えたりするのって、楽しい反面、飽きるのが早いことなんだと思います。「周りをいじりすぎて、そこで挫折せず、記事を書こう。」これもブログを楽しくする一つの秘訣かもしれません。

【運営報告】いつの間にか、はてなブログが1か月たってた件

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はてなブログに移ってきてからいつの間にか1か月たちました。
いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。

前にも書いたように私のブログ歴は
はてなダイアリー→ジュゲム→fc2ブログ→ここ(はてなブログ
な感じで「どうせまた飽きるだろう」と思っていたのですが、今までの中で一番ブログを書くのが楽しく、また記事も多く書いて、訪問してもらえる機会も多かったように思います。1か月のブログの振り返りを記念に残しておこうと思います。



https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/konnoe/20180822/20180822224841_original.jpg

↑一日だけ妙に多い(笑)

アクセス数:768
投稿数:22
読者数:59人
総スター数:

来ていただいた方、本当にありがとうございます。


人の目を気にしすぎていたのか?あるいは気にしていなかったのか?

私はこのはてなブログに行きつくまでは、ひたすらアクセス数を見て一喜一憂(1人、2人くらいしかなかったんですけれど)しては、やる気をなくすパターンでした。
このはてなブログに移ってからは、なぜかそれが気にならず、記事を書いたり、人のブログを読むのに夢中になって過ごせた1か月でした。アクセス数とか気にしない方が結果的にアクセス数が伸びる(伸びたって言っても、そんなに多いわけじゃございませんが。当社比です。)という皮肉な結果でした。
そして感覚的にいつもと違うと思ったのは、見に来てくれる人数や読者数が増えれば増えるほど、「嬉しい!」というより、「怖い」って感じたことです。もちろん好みや考え方の違いとかは、いろいろあるけれども、「わざわざ見に来てくれているのに誰かを傷つけるようなこと書いてないかな」と不安でした。こんなに読んでくれているんだから、もっと謙虚な気持ちで丁寧に書かなきゃなぁと思わせていただいております。頑張ります!


目標は100記事書くこと。

はてなに来るまでのブログを考えると、1か月単位の記事の投稿数も一番多かった。ブログを多く書くことを目標にしちゃうと質が下がるんじゃないかと思っていたんですが、むしろ前よりは中身あること書いているなぁ(くだらないことばかり書いていますが、当社比です。)と読み返して思います。ある程度、量を書かないとだめなのかナ。というわけで、私の近々の目標は100記事書くことです。今日のこの記事で61コ目。頑張ります!

ちなみに、一番よく読まれた記事は
konnoe.hatenablog.com
です。
よく読まれた記事がどれなのか調べる方法がわからなかったので「たぶん」ですが。また勉強しておきます。この記事に、はてブされた時が一番アクセス数が上がっているし、最近の注目記事にこれが上がっているのできっとこの記事だと思います。読み返してみると、卑屈な書き方をしているな~とも思いますが(根が卑屈なのでしかたがないですね)、今、いろんなことにこだわっている原点に気が付けた気がします。自分の生き方を通して、社会にも目を向けていけたらいいなって思います。頑張ります!



これからもよろしくお願いします。

2014年ベスト本

2018/09/25更新

2014年の読書ふりかえり

2014年は、102冊の本を読みました。
年間にせめて100冊は読もうというのが自分の中の目標なので、その目標は達成しました!

2014年は、今まで読んだことのない作家を開拓して自分の人生のバイブルになりそうな本も何冊かできたので、いい読書年だったなぁ、と思います。
では、今年のベスト本紹介してみましょう。今年は15冊と多いです!


■■■「いい作家に出会えたなー」編

01 石垣りん石垣りん詩集」


戦後の時間の中で、家族と会社と社会とに、ひるむことなく向き合い、自らを律して生きてきた詩人・石垣りん。『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』から『やさしい言葉』まで、小さきもの弱き者らへの慈しみや孤独な心情を観念や叙情の中に鮮やかに解き放った全4冊の詩集から代表詩を選び、女性の生き方に自由と活気と自立をもたらした言葉の歴史。

石垣りんの生き方は、とても美しい。
強くて、鋭くて、そのわりに繊細さや弱さがある。
生活の醜さと美しさが混在している。
その彼女の詩は、彼女の生き方がそのまま形になったものだろう。
ぜひ一読してみてください。震えます。



02 宮城谷昌光楽毅


古代中国の戦国期、「戦国七雄」にも数えられぬ小国・中山(ちゅうざん)国の宰相の嫡子として生まれた楽毅は栄華を誇る大国・斉の都で己に問う。「人が見事に生きる」とは、どういうことかと。諸子百家の気風に魅せられ、斉の都に学んだ青年を祖国で待ち受けていたのは、国家存立を脅かす愚昧な君主による危うい舵取りと、隣国・趙の執拗な侵略だった。才知と矜持をかけ、若き楽毅は祖国の救済を模索する。

03 宮城谷昌光太公望


羌という遊牧の民の幼い集団が殺戮をのがれて生きのびた。年かさの少年は炎の中で、父と一族の復讐をちかう。商王を殺す―。それはこの時代、だれひとり思念にさえうかばぬ企てであった。少年の名は「望」、のちに商王朝を廃滅にみちびいた男である。中国古代にあって不滅の光芒をはなつこの人物を描きだす歴史叙事詩の傑作。

2014年、私のなかで一番熱かった作家といえば、宮城谷昌光。中国の殷時代のことが知りたくなって、たまたま見つけた「太公望」で、完全に宮城谷昌光にハマってしまった。まさかこんなにはまるとは。もう名言、金言、箴言のオンパレード。そして、それぞれの登場人物の生き様のかっこよさよ!
いろんな場面で頑張ろうという背中を押してくれる作品が多いので(参考記事1参考記事2) ので、これからもきっと読み続けることになると思う。



■■■「幸福とは何か」「人生とは何か」編

04 細谷 亮太『今、伝えたい「いのちの言葉」』


「人間は、亡くなったらおしまいではない。聖路加国際病院副院長、小児総合医療センター長が小児がんの子どもたちと向き合って40年、小児科医としてはじめて知った「生きることの意味」。

たまたま聖路加病院の小児がんと闘う子たちの番組を見たときに、この先生の存在を知りました。どこまでも子どもやその保護者への寄り添いが全力で、この人は何を考えて仕事をしているのだろうと思って、この本を読みました。「命を大切に生きること」を心から考えさせられる一冊です。


05 やなせたかし『わたしが正義について語るなら』

アンパンマンの作者、やなせたかしの一冊。小さいころに「アンパンの世界は食べものに関するキャラクターが多いんだ?」と疑問に思っていたわけです。だってアンパンとか、弱そうじゃん。すぐふやけるし…でもこの本を読むとやなせたかしの戦争体験からくる平和への思いがそこには込められているのだと思った。こんな言葉がある。

…どこかの国で戦争が起きると、戦争している国同士は両方正義だ、悪い奴をやっつけると正義が勝つと言って戦っているけれど、子どもたちのことは見てやらない。そうして子どもたちは次々に死んでいますね。
 だからぼくが何かをやるとしたら、まず飢えた子どもを助けることが大事だと思った。それが戦争体験を体験して感じた一番大きなことでした。

ほんとうの正義というものは、決してかっこうのいいものではないし、そしてそのために必ず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨て身、献身の心なくしては正義は行えません…

正義とは何か、自分の中にもう一度問い直してみたいです。


06  ビートたけし『僕は馬鹿になった。―ビートたけし詩集』

タレントとして好きかと言われるとあまり好きな方ではないけれども、いい詩を書く人だなと素直に思います。私が好きな詩は「騙されるな」です。いつも何かを「頑張れ、頑張れ。とにかく人生で何かを手に入れろ」というようなことを言っていますが、実はもっと大事なことが人間にはあるということを改めて思い出させてくれます。ビートたけしってこんなセンシティブな人なんですね。



07  岸見 一郎, 古賀 史健 『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』


フロイトユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を、「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめた一冊。欧米で絶大な支持を誇るアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な“答え”を提示します。

言わずと知れたベストセラー。幸せになれる答えが詰まった一冊です。
いろいろ考えさせられ、かつ勇気がわく本です(参考記事:幸せについて2014 - konnoe’s blog)。



08 ジョン・キム 「真夜中の幸福論」


悩んでいる読者に向かって、「自分と向き合い、悩みなさい。そして、どんな瞬間も自分を信じなさい」とエールをおくる本。絶対不可侵の、純度の高い自分になるために。

悩みから解き放たれたいという思いから、悩んでしまう自分を責めていた。そこには救いも何もない。筆者はこんな風に言う。

10 代、20 代では、挑戦もそれほどたくさんしていないし、自分が残してきた実績もない。自分の中で強がる自信はあったとしても、自信の裏にある根拠はなかなか探せない。高い目標を目指して一生懸命頑張っているけれど、心の中ではなぜか不安がつきまとっている。でも、それは若い人には当たり前のことだし、若い人の特権でもあるのだ。むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいい

悩んでいい。

同じ著者の『真夜中の幸福論』もおすすめです。



09 岡本太郎『強く生きる言葉』

岡本太郎が普段の生活の中で動きまわりながら、ふっと洩らす言葉。その中から彼の独特の哲学、人生論というべきものを集める。


岡本太郎くらいストイックに生きれたらシビレるだろうな!

自信なんてことを目標にしなくていい。また、すべきじゃない。自信なんてことを考えるから、人の目が気になるんだ。
ぼくは自信があるとは思っていない。自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。

自信に満ちて見えるといわれるけれど、僕自身は自分を始終、落ち込ませているんだ。徹底的に自分を追い詰め、自信を持ちたいなどと卑しい考えを持たないように突き放す。



■■■「日本の古典は面白い」編

10 冲方 丁『はなとゆめ』


清少納言は28歳にして帝の后・中宮定子に仕えることになる。内裏の雰囲気に馴染めずにいたが、定子に才能を認められていく。やがて藤原道長と定子一族との政争に巻き込まれ……。美しくも心震わす清少納言の生涯

11 『むかし・あけぼの―小説枕草子


美しいばかりでなく朗らかで怜悧、しかも文学的才能もゆたか、という類まれな女主人・定子中宮に仕えての宮中ぐらしは、今まで家にひきこもり、渇き喘いでいた清少納言の心をいっきに潤して余りあった。男も女も、粋も不粋も、典雅も俗悪も、そこにはすべてのものがあった。「心ときめきするもの」など、小さな身のまわりの品、事象を捉えて書きつけた『枕草子』の小説。

今年は日本の古典文学を題材にした小説に目覚めた年だったのですが、そのきっかけになったのが「はなとゆめ」です。そしてさらに詳しく読みたいと思って、有名な「むかし・あけぼの」を読みました。
両方とも枕草子にある清少納言への定子への敬愛や宮仕えのへの喜びがひしひしと感じられる。道隆一族が没落していきつつも、必死で定子サロンのきらびやかさを守ろうとした女のプライドもまたいいと思います。二つの清少納言を読み比べるのも面白いと思う。



12 井上 靖『額田女王


大化改新後の激動する時代、万葉随一の才媛で“紫草のにほへる妹"とうたわれた額田女王をめぐる大ロマン。朝鮮半島への出兵、蝦夷征伐、壬申の乱……と古代国家形成のエネルギーがくろぐろと渦巻く中で、天智・天武両天皇から愛され、恋と動乱の渦中に生きた美しき宮廷歌人の劇的で華やかな生涯を、著者独自の史眼で綴り、古代人の心を探った詩情ゆたかな歴史小説

平安の清少納言の物語から一変して、時代は奈良。額田王の話です。「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」ですね。このあたりの歴史の時系列が頭の中でいつも混乱するのですが、わかりやすく面白かったです。額田王によって、中大兄皇子大海人皇子が対比的に書かれているのですが、その二人の描写もよかったです。

3冊ともわかりやすいので、入門書としても◎




■■■自己啓発本

12 水島 広子 『「いつも忙しい」がなくなる心の習慣』

この著者の本はいくつか読んでいますが、私はこれがベストだと思う(今のところ)。「忙しい、忙しい」って言っていても、世間って冷たいもんで「仕事できないんでしょ」とか「効率よくすれば」みたいな感じで対応され、「じゃぁ、お前がしろっての!」とイラつくか、「そうだよね、私って仕事できないダメ人間だよね」と自己否定のどちらかなんですが、そういうイラつく気持ちや、自己否定の気持ちにちゃんと寄り添いながら、解決法を示してくれるところが、好感がもてます。「忙しい!」と感じたら読むようにしています。

13 中村 将「寝る前に読むだけでイヤな気持ちが消える心の法則26」

こういう系の本ってピンとくるものがなかなかないんですが、この本は視点が新鮮でなかなか面白く読めます。この中で私が一番使うのは、緊張するときに満塁ホームランを想像することです。

■■■そのほか

14 沢木 耕太郎 『深夜特急2―マレー半島シンガポール―』

香港・マカオに別れを告げ、バンコクへと飛んだものの、どこをどう歩いても、バンコクの街も人々も、なぜか自分の中に響いてこない。〈私〉は香港で感じた熱気の再現を期待しながら、鉄道でマレー半島を南下し、一路シンガポールへと向かった。途中、ペナンで娼婦の館に滞在し、女たちの屈託のない陽気さに巻き込まれたり、シンガポールの街をぶらつくうちに、〈私〉はやっと気がついた。

深夜特急、昔から気になっていたんですよね。といいながら、読む機会がなかなか現れず…(自分で作らなかっただけなのですが)。1巻を初めて読んだ時は期待が高すぎて、逆につまらなく感じて、だらだらーと2巻に突入したわけですが、ここでなぜか熱がはいってきて面白くなってきました。旅っていいですよね。自分がいったことのない世界へ連れて行ってくれるそんな素敵な時間を堪能できる書です。まだ全巻読んでいるわけではなく、ちまちま読みすすめています。贅沢だわ~!


15 村上春樹「女のいない男たち」

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」から1年、村上春樹、9年ぶりの短編小説集。表題作は書下ろし作品。

やっぱり春樹が好きだ。私は村上春樹を読む前、短編小説集のその中のお話の一つが好きだったりすることはあるんだけれども、短編小説「集」としては楽しめなかった。村上春樹の短編小説集は、もちろん一つ一つのお話を楽しむこともできるんだけど、それが集まった一つの本として楽しんで読める。あ、「楽しんで」というのはもちろん面白いって意味ではなくて、1つの短編集と1つの短編小説の間が「好き」というか、その間に感じる感情がいいというか、気持ちいいというか、なんか言葉にできないけど、話と話の間に感じるなんか「モヤ~」とした感覚が好きなのです。私はこの短編小説集に久しぶりにそれを深く(?)感じたのでこれを2014年ベスト本に選びました。


以上、15冊。2014年は自分の中でヒットした作品が多かったです。


実はこの記事、2014年に途中まで書いていたものを下地に書きました。書き足してみると、悲しいことに、感動が薄れているのがよくわかって、あの時確かもっと興奮してたよな~なんて思いながら、この記事を仕上げました。感動ってそのままでは残しておけないので、冷めないうちに文字にしておくことは大事なので、ちゃんと年度末に振り返りすることは意外に大事なのかもしれません。また、そういうか過去の記事を書き直すことで、その元となる本を読み直す機会が増えるようにも思うでの、それはそれでなかなかいい機会なのかも。。。





過去のベスト本記事まとめ(整理しなおしているところはリンク切ってます)

2013年 ベスト本 - konnoe’s blog
2012年ベスト本 - konnoe’s blog
2011年ベスト本 - konnoe’s blog
2010年ベスト本 - konnoe’s blog
2009年ベスト本 - konnoe’s blog
2008年 ベスト本 - konnoe’s blog
2007年ベスト本 - konnoe’s blog