konnoe’s blog

読書と旅が趣味。人生に疲弊してみたり、希望をもってみたり、、、

それでもあなたの青春は輝いていたと伝えたい

2020/03/09更新

今週のお題「わたしの好きな歌」

I Need To Be In Love

青春の輝き

青春の輝き

  • 発売日: 2014/02/11
  • メディア: MP3 ダウンロード

 私は、洋楽をあまり聞かないんですが、そんな私でも時々聴きたくなる曲がカーペンターズの「I Need To Be In Love」(邦題:青春の輝き)。時々、無性に聴きたくなるんです。
  私がこの曲を一番最初に知ったのは、学生時代の音楽の時間。教科書に載っていたんです。①もともとカーペンターズが好きだったのと、②旋律が美しすぎたのと、③邦訳が謎すぎるという三つの理由で、とても印象に残ったのです。(ちなみに、私の中で、他に音楽の授業で心に残っている曲と言ったら、「魔王」と「ドナドナ」くらいなので、その印象深い様子がわかると思います(?))

邦訳が謎すぎる

 当時の音楽の教科書にはオリジナルの英詩と、その下に日本語の詩があって、私は、それが対応していなくてとても混乱していたように思います。例を出すとしたら(むしろここしか日本語の歌詞を覚えてないのですが)、サビの最後の「And fool enough to think that's what I'll find」。その部分が「青春の白い月」という訳詩になっていて、「『青春』の『白い月』?何その物体?!なんかそれっぽい感じの単語一つもでてきてなくない?moonは?」と思ったものです。
 もう一度、あの時の日本語の詩を読んでみたくて、ネットで検索してみたけど、ひっかからず(誰か知ってる人いたら教えて!)。
全体を読んだら、「青春の白い月」も、「あぁ、なるほどね。」みたいな邦訳なのかもしれないし、もう違う作品として日本語詩をつけている一部なのかもしれません。
 でも「白い月」は、なんとなく”儚くて繊細な”イメージなので、あの何とも言えない「青春」の所在のなくセンシティブな感じが表現されているようにも感じます。
f:id:konnoe:20190715175900j:plain





青春の輝き~原題vs邦題 問題

 と、まぁ、日本語の詩は覚えていないんですが、そもそも邦題がなぜ「青春の輝き」なのかってことですよ。もともとは「I Need To Be In Love」だから、「恋をしなくちゃいけない」とか、「愛の中にいる必要がある」とかそんな風に訳せばいいんですかね?それがどう転んだら「青春の輝き」になったのか。
 それを、考えていたときに、村上春樹のエッセイの一説を、思い出しました。そのエッセイには、昔の人がどんな無茶な邦題をつけてきたかを紹介しているのですが(確か『村上朝日堂 はいほー!』だったはず)ですが、そこに

その点、昔の人は本当にマメに邦題をつけた。あまりにもマメすぎて原題と邦題がうまく結びつかないという難点はあるけれど、しかしそれはそれでなかなか味のあるものである。

と書いてあって、「なるほどなぁ」と感心した覚えがあります。確かに、邦題の中には、原題と違っているし、かつ、無理やりつけた感じがあっておかしいんだけど、それはそれでいろんな意味をもって意外に「しっくりくる」…みたいなものって、結構ありますよね。クサすぎて「めっちゃダッセー」とか最初は思うんだけど、慣れてくると、もう逆に、「ダサい」からこそイイ!というようなこともあるわけです。

青春は輝いているのか

 果たしてこの曲も、曲の内容にマッチした邦題なのかと考えたときに、最初に感じる違和感は「輝いてないだろ、この曲」ということです。
 この曲の内容は、”主人公が自分のこれまでの人生をふりかえり、不完全なこの世界で、完璧な恋人との関係を求めすぎて(I know I ask perfection of a quite imperfect world)去られ、孤独を感じつつも、でもやっぱりバカみたいにそういう完璧なものを求め続けてしまう(And fool enough to think that’s what I’ll find)”みたいな話です。はい、そうです。輝いてません。全くキラキラしてない。
 失恋ソングと言えばそうなのですが、私には、恋愛だけではなく、主人公が”人生そのものに完璧を求め、それと現実の不完全さとのギャップに打ちひしがれている”ようにも思えます。私も、自分自身の完璧主義に苦しめられるところがよくあるので、この歌の苦しさというか、切なさというのがすごくわかります。「何もかもうまくいかない」、そんな時にこの曲を聴くと泣けてきてしまうんですね。
 そしてまた、この歌に、歌い手カレン・カーペンターズの人生を重ね合わせてしまうです。(そういえばカレンの一番好きな曲はこの曲であったとどこかで聞いたような…)
www.tapthepop.net
摂食障害で32歳の若さで亡くなったことはあまりにも有名なのですが、摂食障害はもちろん、彼女の人生そのものが、この歌詞のように「不完全な世界に完璧さを求め」続けた人生のように感じます。
 完璧主義なんて捨て、器用に生きれるならそれの方が楽に決まっています。わかっているのに、頭ではわかっていても心が動かないものです。だから、不器用なまま、このキツイ世界でなんとか生きていくしかない。そんな不完全でどうしようもない不器用なカレンがこの歌を歌ってくれることが、同じように不器用にしか生きられない人たちの悲しみの心に染み入ります。そして、カレンの美しい声に救われる気がするのです。

 ある人はカレンの人生を「可哀想だ」というかもしれません。また、ある人は彼女の人生を「惨めな人生」だと断罪するかもしれません。
ただ、私は、自分と同じように不器用に生きている人たちを共感させ、美しい歌声で多くのひとの心に寄り添い続けた彼女の人生や短かった青春をそんな言葉にまとめてほしくないとどうしても願ってしまうのです。この曲を聴くたびに、「完璧を過度に求めしまい、苦しんだかもしれないけれども、あなたの青春は確かに美しく、輝いていたよ」とカレン伝えたくなってしまいます。だからやっぱり、邦題は「青春の輝き」でいいのだろうと思います。

とてもいい歌なので聴いたことない人はぜひ聴いてみてください。