konnoe’s blog

読書と旅が趣味。人生に疲弊してみたり、希望をもってみたり、、、

「子ども時代のつながり方」からの卒業するためのヒントをくれる漫画3選

今週のお題「卒業」
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卒業したいのは?

さて、今週のお題が「卒業式」ということで、"自分が卒業したいことは何なのか"を考えてみました。
私が卒業したいのは、「最終的に孤立を選ぶ人間関係」です。
いきなり重そうな話になってしまいましたが…、私は数年前まで健全な(?)人間関係を築けていると自負していたのですが、ここ数年でその認識は180度変わり、いろんなことでしんどくなったの原因を探ってみると、結局、自分自身の人間関係だと気づいたんです。
私は子ども時代から、人とつながってきたように見せかけて、厳密にいうと人と”切れてきた(切ってきた)”ような人間関係を築いているなぁ、と。


今、ちょうど、『子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方』という本を読んでいます。(この本は漫画じゃない)

「アダルト・チャイルド(AC)」の概念を生み出したクラウディア・ブラックが書いた本です。
すべての人間は”子ども時代”を通過しているわけで、本書の『子どもを生きればおとなになれる』という題名が、一体何を意味しているのか疑問に思われる方もいると思います。
しかし、いわゆる「機能不全家族」で育ったアダルト・チャイルドの多くは、”きちんと子どもで生きる”ことが、できない環境で育ってきていると言われています。家庭内に対立や虐待、親からの過干渉などがあれば、安心して「子どもらしさ」など出すことはできないからです。そんな子どもたちは、「大人」の仮面をかぶって、責任をしょい込み、「子どもらしさ」とは無縁な歪な人間関係をそこで学んでいきます。(ちなみに本書では「機能不全家族」に共通する土台となっていたものが、「否認」「孤立」「硬直」「シェイム」だと捉えている。いわゆる「機能不全家族」とまではいかなくても、これを読んでいる方の中にも、幼少期にそれらを感じながら家庭にいた人もいるかもしれません。)
そのような家庭で育った人の中には、大人になってからも、子ども時代に築いた「歪な人とのつながり方」を維持している場合が多く、健全な関係を築くことができない場合があります。
そんな子ども時代に築いた「歪な人とのつながり方」の解決法として、よくあげられるのは「『子ども』を生きなおす」というのが、通説であり、本書もそれにのっとって書かれています。


「子ども」を生きなおす

私自身も、機能不全家族と呼べるほどではないんですが、親が完璧主義かつ過干渉だったのもあり、冒頭に書いた通りいまだに「歪な人とのつながり方」をしていると自覚があります。(私の場合、親だけが悪いとかそういう話ではないです。幼いときの私の勘違いもあるし、親自身が機能不全家族の中で育ったことも原因になっているからです。)
そして、数年前に「歪な人とのつながり方」による過労がたたり、またずっと今まで心の底にあった希死念慮が一気に噴き出したのです。なんとかよいカウンセラーと巡り合い、今は順調に回復してきています。そして、その回復は、カウンセラーを通して、交流分析ゲシュタルト療法などと出会い、「『子ども』を生きなおす」ことをしてきた(今もしている)おかげだと思っています。


面白かったら、無邪気に笑って、
悲しいときは人の目も気にせず大泣きして、
辛かったら、我慢せずに「もう嫌っ!」って言って、
欲しいものがあったら、「ほしい!」ってダダをこねて……

そんなふうに子ども時代を生きることができなかった人は、「『子ども』を生きなおす」ことができればいいのですが、なかなか社会生活を送る日常では、大人であるゆえ出せないんですね。私は「子どもらしさ」を心理療法の中でやってきました。
そして、普段から気持ちがしんどくなってきたら、自分でも「『子ども』を生きなおす」ことを思い出すようにしています。
前置きが長くなりましたが、今回はそんな私が「『子ども』を生きなおす」ことを思い出すときに助けになってくれるマンガをご紹介します。
全部、ネタバレを含んでいますので、見たくない方は注意してください!


①丹羽 庭『トクサツガガガ

トクサツガガガ (17) (ビッグコミックス)

トクサツガガガ (17) (ビッグコミックス)

  • 作者:丹羽 庭
  • 発売日: 2019/09/30
  • メディア: コミック
前にも紹介したことがありますね。
konnoe.hatenablog.com
話の内容としては、主人公・仲村叶が、特撮オタクOLであることをひた隠す苦労や、オタク仲間とわちゃわちゃするのを「オタクあるある」の形式をとりながら、面白おかしく書いているようなマンガです。なんですが、主人公の仲村さんのお母さんが結構な毒親なんですよ。幼いころは「天才てれびくん」を焼かれています(仲村さんの最大のトラウマ)。
巻が重なるごとに、仲村さんは、好きな「特撮」を否定してくる母親と向き合うことになるわけですが、親子関係が修復できなくなるくらいヤバい状況になってくるんですね。暴力沙汰です。
主人公は、社会人になって経済力をもつことによって、幼少期に”女の子らしさ”を求め続けてきたお母さんに諦めさせられた「特撮」を悠々自適に楽しみます。(社会的にはまだ隠そうとはしているけど。)そうやって、主人公は子どもを生きなおしているわけです。そういうシーンがいろんなシーンに挟み込まれていて、親から趣味を強要されてきた人は共感できるものがあると思います。
ただ、お母さんですよ。仲村さん本人はそれで解決しても、お母さんは解決されない。お母さん自身の幼少期が描かれているわけではないのですが、夫と離婚し、一人で息子と娘(主人公)を育てるために、自分のために生きるのは我慢して身を削ってきたわけです。(お母さんは可愛いもの、いわゆる”女の子らしいもの”が好きなのです。)が、それを娘が否定して生きていること(=特撮オタク)が発覚するわけです。
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(「叶ちゃん」が、主人公のことです)
お母さんからしたら、「もう許せないったらない!」って話ですよ。

こうして母と娘は(兄も巻き込み)揉めに揉めていくのですが、最終決着シーンで、その仲村さんのお母さんが「小さい女の子」として登場するシーン(17巻)が私はジーンとくるわけです。
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このシーンよりも前の巻に、

人のために、誰かのために、身を削るほどに、失った自分の中身を相手から取り戻さないと気が済まなくなる。

という文言が出てくるのですが、仲村さんのお母さんは生活の中で”自分が失った中身”を娘の仲村さんの中に取り戻そうとしていたわけです。
逆説的ですが、”自分のためにしっかり生きた人”(≒子ども)しか、”他人のために生きる人”(≒大人)には、なれないのかもしれません

※ちなみに、しつこいようですが、この辺のシーンはいたって真面目なんですが、基本はふざけた推している漫画です。



➁高野 ひと深『私の少年

2冊目はこれです。

私の少年(7) (ヤンマガKCスペシャル)

私の少年(7) (ヤンマガKCスペシャル)

主人公は、スポーツメーカーに勤める30歳、多和田聡子。彼女は、夜の公園で12歳の少年、早見真修と出会う。サッカーを教えるという名目で二人は会うことになるのですが、それぞれが抱える孤独に触れ、互いを必要なものと感じていく……そんな作品です。
「感情の微妙な揺れがいいよなぁ~」なんて感じつつ、あらすじなんか読んでも「聡子の真修に対する気持ちが、母性なのか、恋愛なのか」みたいなことが書かれていて、頭が固い私としては「ちょっと恋愛はヤバイでしょ、犯罪だろ」とか考えてモヤモヤする作品だったのですが(フィクションだってわかってるけど!)、7巻でぐーっときてしまいました。

聡子は、いろいろあって実家に戻ることになるのですが、実家での母親とのやりとりの中でどんどんいろんな感情をため込んでいくわけです。
母親は、聡子のことを「この子、おばさんだから」っていい年の大人扱いするのと同時に、子ども扱い(というか無能扱い?)してくるわけですよ。親子関係であるあるだと思うけれど、そんなことは、笑い飛ばせばいいんだけど、ずっと不倫した母親への不信感を学生時代から押さえつけていた聡子としては、それが許せない。
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聡子としては、子ども時代から自分の子どもとしての気持ちを必死で押さえつけ、「大人」として日々を乗り越えているわけですよ。なのに、母親はいつまでも子ども時代から縛りつけてくる。

でも、真修の言葉で、聡子は自分自身の中で、まだ”ずっと悲しんでいる聡子”がいることに目がむいていくわけです。
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強く生きてきた(そして、こじらせている)主人公が子どもの頃の傷と向き直すこと。それが、大人ではなく、当時の「子ども」としての感情として癒される…そんなことが人には必要なのかもしれませんね。

いい漫画なんですが、なんか二人の関係性が危うすぎるので、このまま終わってほしい気もする漫画です。

ヤマシタトモコ『異国日記』

大人と子どもの心の交流を描く系漫画(?)が続きます。
少女小説家の高代槙生(35歳)は、姉夫婦の葬式で遺された娘の朝(15歳)が親戚をたらい回しにされているのを見過ごせず、勢いで引き取ることになります。しかし、槙生はこじらせレベルとしては、さっきの紹介した『私の少年』の聡子の比ではなく、人付き合いが苦手だし、融通も利かなくて、片付けも苦手で……非常にまっすぐな人で、私なんかはこんな人すごい好きだけど、世間的には認められないような人なんだろなとも思います。(作品中で周りから「マトモな人」かどうか怪しまれるシーンもいくつかあるし。個人的には、誰よりも”まともな人”だと思います。超不器用だけど。)
二人の生活の中で、朝の成長とともに、槙生が過去の悲しみ(姉からの拒絶)と向き合っていく過程(まだ向き合ってはないかな?思い出す程度?)が描かれていて、それが子ども時代の感情を味わうという意味で「子どもを生きなおしていく」ことになっていると思うのです。
姉からの拒絶のシーンではないけれど、槙生が自分の学生時代を思い出す下のシーン好きだな。
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朝から見ると、友達といるときの槙生は「大人してない」そう。
そのあとの醍醐さんからもらう手紙の話が好き。
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本当に10代って生きてるだけでしんどいですよね。
ここで、話題になっている悪友のダイゴさん本人の手紙も素敵です。
30代になって10代の頃の「支えられたもの」、逆に「傷つけられたもの」を”その当時の感情をもって”味わい直すことで、今の生活に新しい発見が見えることも確かにあると思います。


田房永子『キレる私をやめたい ~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』

コミックエッセイ。ノンフィクションなんで、キツいです。
子ども時代の家庭の機能不全っぷりは前作の『母がしんどい』の方に詳しいのですが、本書では、筆者が大人になって回復していく様子が描かれています。
機能不全家族の中で育った著者は、結婚し子どもも生まれるのですが、夫に対して些細な事でヒステリーを起こし、物を投げたり、暴言を吐き続ける毎日を過ごすようになります。時間がたてば理性を取り戻し、そんな「キレる」自分に自己嫌悪に陥る。ただ、それで解決するかというとそうではなく、さらに、怒りが増していき自分ではコントロールできなくなっていきます。ついには、産んだばかりの自分の子どもに手を出してしまいそうになり、「変わらなきゃいけない」と医者や講演会や自助会などをめぐり、心理学を学びながら変わっていく様子が描かれています。

私は、特にこの本の「ゲシュタルト療法」しているシーンが好きです。
ゲシュタルト療法の「エンプティチェア」(厳密にいうなら「エンプティ座布団」になってますが)をしている様子が、すごくわかりやすく描かれています。
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結局、大人になってからの人間関係の不具合は、子ども時代からの不具合を、こうやって丁寧に自分の中の幼い時の感情に焦点をあてることで解決されたりするんですよね。著者の場合は、「(夫を殴る)自分」がだんだん「自分の母親」になっていく。幼い時の自分の気持ちをぶつけたり、母の立場になってみたりしているうちに、なぜか心がすっとしていくんです。
心理療法なんて自分がやってみないとわからないと思いますが、興味ある人は読んでみるといいと思います。そして思うところがあったら専門家に相談しましょう。

この本もいいですが、前作の『母がしんどい』も機能不全家族で育った人には、「わかる!わかる!」と共感しながら読めると思います。

母がしんどい

母がしんどい

ただそういう同じような家庭で育った人は、かなり読了後しんどいと思います。私も読んだ後、ぐったりするのでエネルギーがあるときに読むようにしています。



私自身も、今、子ども時代を生きなおしています

私自身が今、「子ども時代を生きなおしている」最中なので、こういうマンガにじーんときます。こういうシーンがある漫画、他にも知っていたら、これを読んでいる皆様、ぜひ教えて下さい。

出会いと別れの季節です。これまで出会ってきた人たちに正しくお別れできるように、これから新しく出会う人たちに素直であれるように、今は、子ども時代をしっかり生きなおそうと思います

エゴグラム2019

自分で分析してみよう

ここ最近、心理的に不安定な感じがしています。
前にカウンセリングを受けている話はしていましたが、そこでの心理療法の影響なのはわかってるんですが、ここ最近は超がつくほど改善してきていたので、久しぶりの心の「ザワザワ」とした感じに戸惑っています。

「生きづらさ」を手放す: 自分らしさを取り戻す再決断療法

「生きづらさ」を手放す: 自分らしさを取り戻す再決断療法

今、ちょうど『「生きづらさ」を手放す:自分を取り戻す再決断療法』という本を読んでいるのですが、この本は基本的なことをとても分かりやすく説明してくれているので、「再決断療法」の元となる「交流分析」やら「ゲシュタルト療法」とやらを復習したり、また、それが「再決断療法」にどのように繋がっていくのかも確認したりすることができました。
本文中には、

グールディングは、ゲシュタルト療法による感情的な体験を交流分析によって認知的に理解することによって、クライエントに治療的な変化が起きることを認識し、交流分析ゲシュタルト療法を統合した心理療法を生み出しました。こうして、再決断療法が生まれた生まれたのです。

とあり、ここだけでなく、ゲシュタルト療法の解放的な感覚は、交流分析の理論でを学んでいるの人の方が効果が長く続くことが触れられており、自分自身で交流分析の理論を使いながら、自分自身の内面について「分析」を行うことが大事なんじゃないかと今さらながらに考えました。
なので、少し前から自分の中にある禁止令なんかを分析しているのですが、久しぶりに「エゴグラム」を作成して分析しようと思いつきましたので、記事にしました。本当に私の内面のどうでもいい話ですが、このブログでは「エゴグラム」の記事が読まれているようなので検索されてきた方の何かヒントになれば…と思います。

前回のエゴグラム記事
konnoe.hatenablog.com



私のエゴグラムのおさらい

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前回?のおさらい。
青色が一番初期に行ったエゴグラムの結果です。もう3年くらい前になりますね。「AC(従順な子の心)」と「CP(権威的な親の心)」が高く、「自分を押さえ込み」つつ、「相手を支配しよう」としているという矛盾があるために、葛藤を起こしがちなエゴグラムになっています。それも「AC(従順な子の心)」が高いので始終、我慢しているような生活。そりゃ、苦しいですよね。
グレーは去年のエゴグラムです。青のエゴグラムの時期から、カウンセリングで心理療法を受けつつ、自分でも「FC(自由奔放な子の心)」を育てるような行動をしていました。その結果もあり、高かった「AC(従順な子の心)」が下がり、かなり低かった「FC(自由奔放な子の心)」があがりました。ただ、その流れの中で「CP(権威的な親の心)」が一番高い状態になっており、たしかに、常に「~すべきだ!」と周りを怒り散らしていた気がします。



では、本日書いた「エゴグラム」を

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オレンジ色と黄色が本日書いたものです。オレンジが現実、黄色が理想です。「CP(権威的な親の心)」が下がっていますね。むしろ、下がりすぎている感じも。去年の反動かな?確かに、最近怒りが消えてきた。でも、また「AC(従順な子の心)」が上がってきてるやん!理想とかけ離れているのはいつも通り。見にくいけど、3年前と去年のグラフとも比べてみましょう。


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オレンジ色(今回)に注目しながら、比べてみると「CP(権威的な親の心)」や「NP(寛容な親の心)」が今までになく低くなっていて、それと対照的に「AC(従順な子の心)」が高い。でも、「FC(自由奔放な子の心)」はそこまで低くなっていない。「A(合理的な大人の心)」はいつも通り低い。単純に【高い】子ども(AC・FC)/【低い】親(CP・NP)大人(A)だから、心の中「子ども」って感じなんでしょうね。私、最近いろんなことに冷めていると思っていたのよ、怒りも少なくなってきたし…。だから「A(合理的な大人の心)」が高くなっていると予想していたのですが、そんなことなかった。どういうことだろうか、親や大人のエネルギーが少なすぎるのも気になる。そういえば、最近いい歳していい意味でも悪い意味でも「子どもっぽいな」と自分自身を思うようなことがあったので、納得している。ただ、それはそれで支障が出てきているので、また変えていきたいなと思う。

変化するときはモヤモヤする

ここ最近、ずっとモヤモヤしているけれど、変化するときはいつでも心がモヤモヤ・ザワザワしていたように思う。そんなもんなんだと受け入れながら、ちゃんと分析して前を向いて生きていきたい。
もう一つ言うならエゴグラムでいう「A(合理的な大人の心)」と「NP(寛容な親の心)」を上げてさらに理想に近づけるといいなと思う。個人的なことで、ここには書けないことで気づくことも大いにあった。こうやって分析することも「A(合理的な大人の心)」をあげる一歩だと思うので、頑張りたい。

それでもあなたの青春は輝いていたと伝えたい

2020/03/09更新

今週のお題「わたしの好きな歌」

I Need To Be In Love

青春の輝き

青春の輝き

  • 発売日: 2014/02/11
  • メディア: MP3 ダウンロード

 私は、洋楽をあまり聞かないんですが、そんな私でも時々聴きたくなる曲がカーペンターズの「I Need To Be In Love」(邦題:青春の輝き)。時々、無性に聴きたくなるんです。
  私がこの曲を一番最初に知ったのは、学生時代の音楽の時間。教科書に載っていたんです。①もともとカーペンターズが好きだったのと、②旋律が美しすぎたのと、③邦訳が謎すぎるという三つの理由で、とても印象に残ったのです。(ちなみに、私の中で、他に音楽の授業で心に残っている曲と言ったら、「魔王」と「ドナドナ」くらいなので、その印象深い様子がわかると思います(?))

邦訳が謎すぎる

 当時の音楽の教科書にはオリジナルの英詩と、その下に日本語の詩があって、私は、それが対応していなくてとても混乱していたように思います。例を出すとしたら(むしろここしか日本語の歌詞を覚えてないのですが)、サビの最後の「And fool enough to think that's what I'll find」。その部分が「青春の白い月」という訳詩になっていて、「『青春』の『白い月』?何その物体?!なんかそれっぽい感じの単語一つもでてきてなくない?moonは?」と思ったものです。
 もう一度、あの時の日本語の詩を読んでみたくて、ネットで検索してみたけど、ひっかからず(誰か知ってる人いたら教えて!)。
全体を読んだら、「青春の白い月」も、「あぁ、なるほどね。」みたいな邦訳なのかもしれないし、もう違う作品として日本語詩をつけている一部なのかもしれません。
 でも「白い月」は、なんとなく”儚くて繊細な”イメージなので、あの何とも言えない「青春」の所在のなくセンシティブな感じが表現されているようにも感じます。
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青春の輝き~原題vs邦題 問題

 と、まぁ、日本語の詩は覚えていないんですが、そもそも邦題がなぜ「青春の輝き」なのかってことですよ。もともとは「I Need To Be In Love」だから、「恋をしなくちゃいけない」とか、「愛の中にいる必要がある」とかそんな風に訳せばいいんですかね?それがどう転んだら「青春の輝き」になったのか。
 それを、考えていたときに、村上春樹のエッセイの一説を、思い出しました。そのエッセイには、昔の人がどんな無茶な邦題をつけてきたかを紹介しているのですが(確か『村上朝日堂 はいほー!』だったはず)ですが、そこに

その点、昔の人は本当にマメに邦題をつけた。あまりにもマメすぎて原題と邦題がうまく結びつかないという難点はあるけれど、しかしそれはそれでなかなか味のあるものである。

と書いてあって、「なるほどなぁ」と感心した覚えがあります。確かに、邦題の中には、原題と違っているし、かつ、無理やりつけた感じがあっておかしいんだけど、それはそれでいろんな意味をもって意外に「しっくりくる」…みたいなものって、結構ありますよね。クサすぎて「めっちゃダッセー」とか最初は思うんだけど、慣れてくると、もう逆に、「ダサい」からこそイイ!というようなこともあるわけです。

青春は輝いているのか

 果たしてこの曲も、曲の内容にマッチした邦題なのかと考えたときに、最初に感じる違和感は「輝いてないだろ、この曲」ということです。
 この曲の内容は、”主人公が自分のこれまでの人生をふりかえり、不完全なこの世界で、完璧な恋人との関係を求めすぎて(I know I ask perfection of a quite imperfect world)去られ、孤独を感じつつも、でもやっぱりバカみたいにそういう完璧なものを求め続けてしまう(And fool enough to think that’s what I’ll find)”みたいな話です。はい、そうです。輝いてません。全くキラキラしてない。
 失恋ソングと言えばそうなのですが、私には、恋愛だけではなく、主人公が”人生そのものに完璧を求め、それと現実の不完全さとのギャップに打ちひしがれている”ようにも思えます。私も、自分自身の完璧主義に苦しめられるところがよくあるので、この歌の苦しさというか、切なさというのがすごくわかります。「何もかもうまくいかない」、そんな時にこの曲を聴くと泣けてきてしまうんですね。
 そしてまた、この歌に、歌い手カレン・カーペンターズの人生を重ね合わせてしまうです。(そういえばカレンの一番好きな曲はこの曲であったとどこかで聞いたような…)
www.tapthepop.net
摂食障害で32歳の若さで亡くなったことはあまりにも有名なのですが、摂食障害はもちろん、彼女の人生そのものが、この歌詞のように「不完全な世界に完璧さを求め」続けた人生のように感じます。
 完璧主義なんて捨て、器用に生きれるならそれの方が楽に決まっています。わかっているのに、頭ではわかっていても心が動かないものです。だから、不器用なまま、このキツイ世界でなんとか生きていくしかない。そんな不完全でどうしようもない不器用なカレンがこの歌を歌ってくれることが、同じように不器用にしか生きられない人たちの悲しみの心に染み入ります。そして、カレンの美しい声に救われる気がするのです。

 ある人はカレンの人生を「可哀想だ」というかもしれません。また、ある人は彼女の人生を「惨めな人生」だと断罪するかもしれません。
ただ、私は、自分と同じように不器用に生きている人たちを共感させ、美しい歌声で多くのひとの心に寄り添い続けた彼女の人生や短かった青春をそんな言葉にまとめてほしくないとどうしても願ってしまうのです。この曲を聴くたびに、「完璧を過度に求めしまい、苦しんだかもしれないけれども、あなたの青春は確かに美しく、輝いていたよ」とカレン伝えたくなってしまいます。だからやっぱり、邦題は「青春の輝き」でいいのだろうと思います。

とてもいい歌なので聴いたことない人はぜひ聴いてみてください。

LINEのトークCAREを使ってみた

2019/10/14更新
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ちょっと前から気になっていた「LINE」の「トークCARE」というサービスを使ってみたので、レビューをしようと思います。

「LINEのトークCARE」って何?

「LINEのトークCARE」は、「LINE」のアプリの「通話」や「チャット」を使ったカウンセリングです。
care-mag.line.me
このサイトだけ見てると、若い女性が恋愛相談を主としてそうですが、そうでもなく、誰のどんな悩みでもオッケーです。

そもそも私がここに行き着いたのは、もともと、一般社団法人全国心理業連合会のLINEでの相談窓口「SNS相談~いのち ココロゴトLINE~」を利用したことからです。
www.mhea.or.jp
去年もここに登録して、何度か相談しようとしたのですが、……繋がらない!
そして、いつもこんな画面に!
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時間をおいて、また相談しても同じことの繰り返し。日をおいても変わらず。何度もチャレンジしましたが、繋がらないので諦めました。いつ繋がるんだ!まぁ、悩み深いのはみんな同じなんですかね。
で、有料でもいいので、こういうモヤモヤした気持ちを電話でなく、LINEのチャットで相談できるものはないのか?と探してこの「トークcare」に行き着きました。


まず、 登録してみよう

トークcare」のトップページに行くには、ラインのホーム画面から「サービス」(四角のなかに「S」が書いてあるアイコンです)を選んだらそこに「トーク悩み相談」を選びます。
トップページについたら、まずプロフィールページで、ニックネーム(匿名でOK)や性別、年代をいれます。その後、相談する前に、料金の精算方法を先に済ませるといいとしたの記事に書いてあったで、先にしました。実際してみて、手慣れているならまだしも、先にやっておいたほうがいいなと思いました。

精算方法

misaki-hoshino.hatenablog.com
トークcareのトップページの右上の「三」を押すと、マイメニューのページに行けます。
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料金を支払う方法は、二種類あります。

  • チケットを買う(1枚につき10分。使い始めると10分未満でも1枚分消費される)
  • クレジットカードを登録する(1分ごとに課金されていくらしい)

クレジットの方が1分刻みだからお得じゃん!と思って登録しようとしたけど、エラーがでて登録できず…。何でや…。「もう、いいや」とクレジットは諦めて、チケットを購入することにしました。チケットの枚数は、最大三枚。つまり30分ぶん。複数枚を一緒に買うと、無料チケットが着いてきます。(確か、そもそも初回は10分無料が、あったはず。)ここで注意することは、チケットは三種類(BASIC、GOLD、PLATINUM)あり、そのカウンセラーによって違います。話を聞いてもらいたいカウンセラーがどのチケットがいるのかを確認してから買った方がいいです。
チケットの支払いの方法は複数あります。

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有料チケットより、無料チケットの方が先に(勝手に)使われます。


では、さっそく相談してみよう

相談するカウンセラーを選びます。ユーザーレビューを見たり、カウンセラーの来歴や得意とする分野を見ながら選びます。誰でもいいなら、オンライン中のカウンセラーが、トップページに表示されているので、そこから選びましょう。

次にカウンセラーのページにとんで、そのカウンセラーがオンライン中なら、下のようなページになります。

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「チャット」か「電話」か選んで、ページにしたがって進んでいきます。


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そして、カウンセラーと友達になるので、待ってると向こうからメッセージがきます。


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さらに待つと…


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この後、カウンセラーが話しかけてきます。そこからは普通のLINEのやりとりと同じです。
チャットにしたら打つのに時間がかかるから、相談しておきたいことを最初からメモしておくのもありだと思います。私はPCからキーボードで打っているので早いです(ただし、継続ボタンなどはケータイでしか押せないので、二刀流)が、これをケータイで打つとなると、めっちゃ遅くなってその間にチケットがなくなってしまいそうな気がします。ついでにカウンセラーの方も返信が遅い方もいますね。ケータイで打ってるのかな?

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経過時間を知りたいときは、操作メニューから。(ケータイからやってるとこの操作メニュー画面を何度も間違って出してしまう。邪魔…)
ちなみに無料時間が切れかかるとお知らせが入ります。無料時間が切れると、購入したチケットが消費されていきます。
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その後、カウンセラーとチャットを続けていると、チケット1枚分(10分)終了間際のお知らせがきます。


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もういいやーと思ったらそのまま放置するか「相談終了」。続けたいなら「継続」ボタンを押します。もし、購入したチケットが切れてしまったら購入案内のページから再度購入することもできます。

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適当なところで終わりましょう。

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最期にこんな感じのメッセージが届きます。カウンセラーによっても違いますが、結構な高確率で終了後もメッセージをくださいます。話の途中でチケットが切れてしまっても、カウンセラーの方でまとめてくれてメッセージを送ってくれる方もいます。そのメッセージに対しては反応できないので、最後のレビュー書くところでお返しのメッセージ書く人も多いみたいですね。

トークCAREを使ってみた感想

LINEでのカウンセリングは文字だけのやり取りなので、気持ちが伝わらなかったりするのかと思ったけれども、チャットでも意外にホッとできるので、何度かこれからも使っていきたいなと思いました。カウンセラーのアドバイスはもちろん参考になるけれども、自分自身で書くこと自体が受容的な意味をもっていいのかもしれない。
ただし、カウンセラーって相性あるよなーとは思います。以前にもそんな記事を書いたことがあると思いますが…
konnoe.hatenablog.com
私は今の段階で6人のカウンセラーにこのトークCareでお世話になりました。どれだけ金使う気だ。半分くらいの人は「合わないなー」というか、「やりとりしていても何も気づきがないな」と思いましたが、でも、やっぱり助けられるような気付きを促してくれるカウンセラーもたくさんいたので、今後も使っていきたいです。お金の使いすぎだけは気をつけよう…

私のエゴグラムの推移

2019/10/14

エゴグラム」を作ってみよう!

前から定期的にカウンセリング受けていて、そのカウンセラーが「交流分析」をもとに心理療法をやっているので、「交流分析」を勉強する機会は結構ありました。で、この前、久しぶりに「交流分析」というか、その分析法である「エゴグラム」の本を読みました。

そのせいで、「エゴグラム」(詳しくは下記)をやりたくなって、やってみました。ついでに、ここ数年の自分のエゴグラムの経緯もまとめてみました。
長い記事ですが、気合を入れて書いたので、今、「生きづらさ」なんかを抱えている人は、参考になるかもしれないので読んでほしいです。(心理的にしんどすぎる人はしない方がいいかもしれない。後述。)

そもそもエゴグラムとは

知らない方のために「エゴグラム」とは、「エゴ(≒自我)」「グラム(≒グラフ)」のことで、「エゴグラム」によって簡単に自分の自我状態をグラフにして分析することができます。

上の本よりは少し簡単めのこの本から、

そのエゴグラムのできた流れについて引用しようと思います。

心理学のひとつの考えに「交流分析」(Transactional Analysis)と呼ばれている方法があります。「交流分析」はアメリカのエリック・バーンというフロイト派の心理学者によって始められました。
エゴグラムはこの「交流分析」をもとに、同じチームにいた弟子のジョン・M・デュセイによって開始された心理分析です。

フロイトは、人間の心を3つにわけ、「超自我」「自我」「エス」と分けたそうですが、その3つをエリック・バーンは、それぞれ「親の心(P)」「大人の心(A)」「子どもの心(C)」を振り当てたらしいです。人の心のなかには、「親」と「大人」と「子ども」が存在してるってことです。


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エゴグラム」を始めたデュセイは、その3つの自我状態(「親」「大人」「子ども」)をさらに5つに分類しました。

1、CP(Critical Parent)*1……「厳しい父親」のような、支配的な心。
2 、NP(Nurturing Parent)*2……「優しい母親」のような、寛容的な心。
3、A(Adult)……「冷静な大人」のような、合理的な心。
4、FC(Free Child)……「元気な子供」のような、自由な心。
5、AC(Adapted Child)…「親の言うことを聞く子供」のような従順な心。

 この5つのどこが高くて、どこが低いかを数値化して、分かりやすく見るのが「エゴグラム」です。「エゴグラム」は、心理本を読まなくても、ウェブサイトなどで無料で簡単にできるので、このブログを読んで興味を持った人は是非やってみてください。自分のことで新たな気づきがあるかもしれません。



私の「エゴグラム」の経緯

私の初期の「エゴグラム

私が初めてとった「エゴグラム

私が初めてエゴグラムとったのは、2016年冬。ちょうど、カウンセリングに行き始めたころですね。最初は、「心理テストかぁ……なんかこういうのって当たらない…いや違うな、むしろ、なんでも当たってるっぽく見える…。 」とか考えていました。
実際、「エゴグラム」をやってみたら、今まで受けてきた心理テストとは違い、自分の中の「生きづらさ」を感覚ではなくて、理論で落とし込むことができたように思います。
では、実際に私のエゴグラムを見てみましょう。

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オレンジの濃い方が「現実」、薄い方が「こう生きれたらいいのにな~」っていう「理想」です。

見てください!「現実」(濃いオレンジ)の「AC」の高さを!質問項目満点……。つまり、「AC=人に順応する力」、別の言い方をすると「自分の欲求を押さえ込んでいい子でいる力」が高いということです。ちなみに、どこが高くてもそれが個性なのでOKなのですが(後述します)、「AC」が高い人は比較的「生きづらさ」を持っていると言われています。他人にあわせて生きてるわけだからね。
 さらに私の「生きづらさ」のもうひとつの要素は「CP」が高いこと。「CP」は、「保守的で権威的」よく言うと、「リーダータイプ」。私は「~すべき」が口癖だから、この結果にもなるほどと思えた。
つまり、私のエゴは、「AC」で「自分を押さえ込み」つつ、「PC」で「相手を支配しよう」としている。他人に対して〇〇すべきと思いつつ、自分を抑え込むから言えない。そんな状況、心の中に矛盾が生まれるのは当たり前ですよね。自家中毒を起こしていたことが非常に納得いきました。私の説明より下記のリンクの方がわかりやすいと思います。
sasaki-tsuneyasu.hatenablog.com

また、他にも気づきがありました。
私は、実はお恥ずかしながら、「エゴグラム」をするまでは、自分自身を「優しすぎる人」だと思っており、NP(寛容な心)が高いと思ったら、実はAC(順応する心)が強いという結果が出て、驚きました。ただ、振り返ってみると、確かに、「人に合わせよう」とか「優しくしよう」と私がする時、「あの人を喜ばせたいから」より「あの人が怖いから」の方が大きいということに気づきました。前者なら「NP」、後者なら「AP」が高いんでしょうね。
ちなみに、私の理想のグラフは極端に「NP」が高いんですけど、その時を一緒に「エゴグラム」やった友人は「現実のグラフ」の「NP」が極端に高く出ていて、私はその人のことをとても尊敬しているということも面白かった。でもその人は、確かにしんどそうな生き方をしているのよ。素敵な人なんだけど。

エゴグラム」を変えよう

さきほども書いた通り、どこかが高かったり、低かったりするの個性であって、悪いことではありません。ただ、それが極端に出ていたり、環境に合っていないと(例えば、日本では比較的ゆるやかな「へ」の字型(「NP」が優位)が生きやすいと言われているし、欧米では山型(「A」が優位)が生きやすいと言われている)生きにくいと言われています。っていうか、「CP」と「AC」が高いのは、普通に生きづらいわ。じゃぁ、どうやってグラフのバランスを整えたらいいのかというと、どこかを下げるためには、その項目を下げようとするよりも、グラフの隣り合っているものを上げる方法が一般的です。ただし、「CP」を下げたいのであれば、「AC」を上げるより「NP」を上げた方がいいというのがいいみたいです。(「AC」は、上がりすぎると生きづらいから)。
それぞれの項目は訓練であがるそうです。確かに、私は昔から「AC」は高かったと思うけど、「CP」はそんなに高くなかったような気がする。人を指導するような立場になってから「CP」がどうしても必要な場面がたくさん出てきて、無意識のうちに訓練をしていたんだと思います。
というわけで、ここから私の「(「AC」を下げるための)「FC」を上げよう訓練」が始まるわけです。「FC」をあげるために、とにかく楽しいことをする。天真爛漫に。難しいいいいいいナァアアア!!



半年後

「ACを下げるためにFCを上げよう訓練」を行ってきた私は、自分のエゴグラムがどうなったのか、半年後エゴグラムを作成してみました。
前回は「理想の自分」をグラフ化しましたが、今回はそれはやめて、「時間帯や自分の置かれた役割によっても違う」とあったので、朝と夜にとって見ました。違いはあるのかな?

まず朝の分

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え?!!!訓練の効果ですぎやろ…FCとAC大逆転。そんなまさか。
まぁ、たしかお盆のあたりにとったので遊びまくってたことも影響しているのかも??

そして夜にとった分。

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お帰り、ACの高い私。うーん、やっぱり高いですね。AC。まぁ、前みたいに満点ではないけれど。朝の低さはどこへ消えたの?!
ちなみに、「これって質問の微妙なニュアンスによってもグラフの形は変わるんじゃないの?」と思ったので、いつも行っているものとは違う形式の質問(とあるウェブサイト)で怠ってみても、ほぼ同じACが高い感じでした。やっぱり高いのね。AC。悪い個性じゃないんだけどなーでもなー生きづらいのは嫌だなー


去年のエゴグラム

半年後

その後も「ACを下げるためにFCを上げよう訓練」地道に続けました。半年後のエゴグラムはこちら
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とても平坦な感じのエゴグラムになっていますね。訓練が効いてきたのだろうか?
自分で意識的に訓練しただけでなく、カウンセリングで心理療法もしたりしていたので、このころは気持ちとしても楽になってきていましたね。
一番最初にとったときは本当に生きづらくて希死念慮にとらわれる毎日だったので。
個人的には理想が緩やかになったのもよかったなーと思いました。

時は経って、3か月後、、、

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どーん!戻ったー!!AC高い!!ちょうど過労になって死にかけていた時だと思います。
人間は自分が危機的な状況になると本当の自分が出るといいますが、やっぱりACの高さが私は出てくるんですね。
そしてCPとぶつかる。(周りに対して)ちゃんとやれよ!私は我慢してやってるのに!というのを内面でずっとしてるわけです。
頭ではこんな心の動きをしていることに気づいているのに、どうしようもない、自家中毒が続くばかりでした。
それでもとにかく、FCを高めようと頑張りました。この「頑張ろう!」感がどうしてもAC感があるという…


そしてこの夏のエゴグラム

エゴグラムを作る前からなんとなく形は予想できました。
ここ最近、感情は外に出して(出しまくっているので)ACは低くなって、CPがめちゃくちゃ高いと思っていました。
さて結果を見てみましょう。
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おおおお!念願のACより、FCが高い!!ただ、理想がACが低すぎるのも気になる。自分がACで自分を抑えてきたことへの反動かな?
最近、本当に「誰かに合わせる」ことに腹が立つもん。
上の本を見てみたら「自己中心型」とあって、そのとおりやわ~と心から納得しました。
でも、この生き方も結構しんどいので、もっと自分が穏やかに生きれる形になりたいなー。


すべての自分を大切にしたらいい

上にも書きましたが、エゴグラムはどの型がいいってものでもないので、「この型に近づけよう」というものではなく、「理想の自分生きやすい自分」に近づけていったらいいと思います。
どうしても心理的にしんどい人は、また自分を責めちゃって「私はこれができてない!」って思ってしまいがちなんだと思います。私は常にそうです。
でも、本当はどの個性が強くても、それは「愛すべきあなた」です。
どんな自分も大切にしてあげることからしか、何もはじまらないことは肝に銘じておいた方がいい。
上述のように私のエゴグラムは今「自己中心型」なんだけれども、それも私が必死に抑圧してきた思いを頑張って出してきた途中経過なんだから、(もちろん、この生き方にはある程度の抵抗あるけどね)愛してあげようと思う。
頑張ってるねって。
でも、私の理想はNPが高いことだから、NPをあげるような努力は訓練していこうと思う。あと、Aも、もう少しあげたい。
そして、理想通りになって、いつか生きづらさが、全くなくなったとしても、私の中の「人に合わせることができる(AC)」は大切にしようと思う。

*1:FPとされるときもあります

*2:MPとされるときもあります

人生をマウンティングしあうこと

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友達と飲みに行った話

同年代と友達と飲みにいった。「仕事を辞めた子」や「仕事を辞めたいと思っている子」が多いこと、多いこと。かくいう私も過労がたたる毎日で、特にここ数年は「もう生きていけない!」というくらいになっていたので、本当にこの気持ちがわかる。理由はいろいろあると思う。単純に過労で疲れ切っているのかもしれない。年代的に生き方について考える転換期なのかもしれない。結婚とか出産とか。それに今の このご時世、一つの仕事だけで生きていくなんて考え方自体が古いのだろう。去年、仕事を辞めた子は働いたり、休んだりを繰り返したりをしながら、生き生きしている。「仕事やめて良かった!」そんなものだ。とは考えつつも、私自身は「仕事やめたいと思ったときにやめてなくて良かった。」と心から思って働いている。(数年前の仕事をやめたいと思っていた過去の私にこんなこと言っても信じてくれないけど)

この生き方が正しい論争になりがち

で、ある友達が「今の仕事が嫌いなわけではないけど、割に合わないからやめたいんだけど、別にすることもないし、好きなことだけで生きていける気もしないし、結婚も今の彼氏(パートナー)とするのはどうかなと思ってるし…」みたいな話をし始めた。この手の話が長くなると、お悩み相談から一転して、マウンティング大会になる。親切心から「こんな生き方したらいい」、「これをすると素晴らしい人生になる」って提示するけど、それが他人の生き方をぶった切っているみたいな…。わかりやすい感じだと

  • 仕事せずに自分の好きなことだけして生きていくのが人生の最上
  • 仕事に誇りをもって仕事によって自己実現を果たすのが人生の最上
  • 愛する人と結婚し、子どもを育てるのが人生の最上

などなど。そして「それ以外の生き方は不幸ですよ」みたいな言論に陥るわけです。盲目的に無自覚に自分の生き方が最上であることを信じていて、それを押し付けられるのも嫌だけど、「私の方があなたより上の幸せを持ってんのよ!」っていう対抗意識のみで押し付けられるのが一番嫌だ。で、大体、嫌な気分で飲み会が終わるというパターンよくある。ある。でも、この時のメンバーは、あまりマウンティングしない人たちだったので、むにゃむにゃっと終わった。

マウンティングが嫌いだ

とにかく私はマウンティングする人が嫌いなので、こういう「人生の幸せはこうだ」っていうマウントの取り合いで、自分の生き方に干渉されたら、めちゃくちゃムカつくし、惨めな気持ちになる。怒りや辛い気持ちを何日も引きずるタイプ。人間だれしも(?)「自分で自分のことを否定するのはいいいけど、てめぇに言われかねぇよ!!!!」ってことは往々にしてあると思います。いくら悲惨であっても、自分の今の人生を他人に否定されたくないもんじゃないでしょうか。これからの生き方に悩んでいる人に親切心で言っている人も見かけるけど、マウンティングしながら困っている友達に新しい人生論を提示しても「ああ、あの生き方したいな」なんて思わないと思うんですよ。マウンティングなんて無視すればいいし、「ああ、あなたはそう考えてるの」でいいのに、なかなかそれができないから人間やっかいですね。

強迫観念「幸せにならなきゃ」

最近よく思うんだけど、そもそも社会全体が「幸せにならなきゃ」欲求激しくないですか。私自身もそうで、幸せになる方法とかを常に検索したり、考えている(この記事とかも:幸せについて2014 - konnoe’s blog)。本もそんなのばっかり読んでる。「幸せになるためのたった一つの方法」とか「これをすれば人生うまくいく!」みたいなのは、すぐ食いついちゃいますね。最近ではなく人間は、「人生とは何か」「人はどう生きるべきか」なんてことは、何百年も前から考えているとは思いますが。

幸せな人生論を追求し続けると生きづらい

「幸せな人生」を考えること自体は素敵なことだとは思いますが、それが行き過ぎると「生きづらい」と思います。少なくとも、私は生きづらい。「より幸せな人生がある」というのは、希望でもあるし、一種の絶望でもあると思う。今の人生を否定しなきゃいけないわけだから。どんな悲しい生活をしていようとも、今の人生を否定しながら生きるのはしんどいっすよ。自分の今の人生を心から肯定できているなら、前に進めると思う。でも肯定できない人がマウンティングされたり、「より幸せな人生」を提示されたところで辛いと思う。もう、そんな時は「幸せな人生であるべき」ってことさえ捨ててしまったらいいんじゃないかな。「怒り狂う人生でもいいじゃないか。」「卑屈に打ちひしがれる人生でもいいじゃないか。」って。それくらいの心意気で自分の人生を肯定していったらいいんだと思う。もうこの世にはいない人で、無念のうちに死んだ人もいると思うけど、じゃぁ、その人はいわゆる成功した人より人生の価値が下ってわけじゃないじゃない?だから、どんな人生でもOKなのよ。極論「幸せな人生」じゃなくても。もちろん人に迷惑をかけるような人生はよくないし、理不尽に怒り狂ったり卑屈な人生を送らなきゃいけないのはおかしい。だから、それとは闘っていったらいいと思う。でもそののことと、あなたの人生に価値があるかどうかは別の次元の話だと思うのよ。

人生の上も下も勝ちも負けもない

言い古された言葉でさびが付いていそうな言葉だけど、人生は競争じゃないということ。マウンティングしあう限り、自分より格上だとか格下だとか、勝ったとか負けたとかそんな論理で考え続けなければならない。
なんとなく長田弘の「We must love one another or die」という詩を思い出した。この詩の内容はぶっちゃけよくわからない。愛することを愚かなこととしつつ賛美しているのだとしたら、私は別に人を愛することが最上だとも愚かだとも思わないので共感はしにくいが、言葉の一つ一つには共感できるものがある。

不正確というより不誠実だ、と。
たぶん、そうだと思う。
わたしたちは、そのように
愛について、また、死について、
糺すように、書くべきでない。

愛、死も、人生も糺すように書いても仕方がない。

人生は受容であって、戦いではない。
戦うだとか、最前線だとか、
戦争のことばで、語るのはよそう。

人生の勝ち組、負け組なんてナンセンス。見えない誰かと戦うのはやめよう。胸を張れるような人間にならなくても、愚かな人間でもいいじゃないと励ましてくれているように思える。この詩はこんな風に終わる

わたしたちは、
愚か者として生きるべきである。
賢い愚か者として生きるべきである。


なんか自分の中でマウンティングされる人生についての結論が出そうだけど、まだ考えがまとまってないので、この詩を引用しながむにゃむにゃ終わる。
いつか社会のマウンティング問題に終止符を打ちたい。

自分に合うカウンセラーを探そう

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カウンセリングを受けよう

私は、数年前から定期的にカウンセリングを受けています。
受ける前の私は「そこまで辛くないからカウンセリングとか受けなくていいや。時間もないし。」と考えていました。で、数年後「めっちゃしんどい事態」に陥り、カウンセリングを受けることになりました。で、回復した今思うのは、『少し辛い』でも、カウンセリングを受けた方がいいということです。もっと言うなら、全然しんどくなくても、対人援助職に就いている人(将来的に就こうと考えている人も含めて)は、カウンセリングを受けてもいいと思います。スーパーバイザーの役割をしてくれますし。対人援助職でなくても、何か生きづらさを抱えているなら(例えば自分は機能不全家族で育ったとか自覚がある人)が、気軽にカウンセリングを受けれる環境があれば本当はいいと思います。
でもカウンセリングは「全然(心理的に)しんどくない」と思う人も受けたらいいと思います。理由は、無意識の抑圧でそう考えている人もいると少なからずいると思うからです。「こんなことで根をあげてはいけない」「他人に頼ってはいけない」…そんなことを考えている(意識上ではなく、無意識でね。)人がたくさんいると思う。病休とったらいいのに、それさえできない(できないというか選択肢がない)というような昔私みたいな心理状態の人、結構いるでしょ?「頑張れてるんだったら、いいじゃん」と思うんだけど、いつかパンクしてしまいますよ。何かのきっかけでカウンセリングを受けて、自分の心の状態に気づける人が増えたらいいなと思います。日本がカウンセリングを受けない文化であるだけで、欧米では「心の調整」くらいの気持ちで受けに行く人も多いみたいですね。
www.digital-health.jp
なんでもかんでも欧米のマネをしろとは心から思いませんが、カウンセリングが生活に根付いているのは、純粋にいいなぁと思います。


私のカウンセラー

私が信頼していて、よく話を聞いてもらったり、心理療法を行ってもらっているカウンセラーは3人います。

  • Aさん

基本(?)のカウンセラー。何かがない限り、基本的にこの人のカウンセリングを受けます。話を聞いて、その後心理療法を受ける流れが多いですね。交流分析を基にした理論で行っていて、イメージセラピー、箱庭法、ゲシュタルト療法などいろいろしてもらえます。心理学の講習もしているので、定期的にそちらにも理論を勉強に行きます。人気カウンセラーなので予約が取りにくいのが難点。

  • Bさん

職場の保険で年3回だけカウンセリングしてもらえる有名な先生。カウンセラーというか心療内科医。認知行動療法のやり方で、気持ちを整理してくれます。

  • Cさん

Aさんも、Bさんも無理な場合の緊急避難所(?)。話もそこそこに、心理療法にいきます。イメージセラピーが主かな。


本当は一人の方に固定した方がいいのかもしれませんがね。まぁ、でも物理的に無理なんだから仕方がない。


自分に合うカウンセリング(カウンセラー)の探し方

私はこの3人に行きつくまでに、あと何人かのカウンセラーのところに行きましたが、合わなくてやめました。
値段とか場所とかいろんなことを考慮して、カウンセラーを選ぶと思いますが、このあたりを気にしてカウンセラー探しをしたらいいんじゃないかという点をあげようと思います。

①基本的なことがちゃんとしているかどうかを見極める

自分がカウンセラーじゃなくても、カウンセラーがきっと大事にしなきゃいけないことって想像できると思うんですけど、それさえ守れていないところは結構あるな~と思ったのが、いろんなカウンセリングに行ってみて思ったことです。たとえば、、、
守秘義務を守らない
他人がいる前で(むしろ他の人に会うような形になっているのがおかしいと思うんだけど)自分の内情を話されたりとか…。あと、壁が薄かったり、次の待っている人に合わなきゃいけないとかいうのももうちょっと気を使ってよね、って思う。
・受容しない
ひたすら説教型のカウンセラーも1人遭遇しました…。怒ってほしいならもっと別の場所にいくよ!って話です。怒りはしないけど、ひたすらアドバイス型ってのもあったな。「いや、まずこっちの話聞いてよ!」みたいな

でも、私はド素人なので、そういう「守秘義務守らない系カウンセリング」とか「説教カウンセリング」とか「ひたすらアドバイスカウンセリング」とかいう手法もあるのかもしれない。とにかく、私には合わなかった。


②カルテを丁寧にとっている

何度も同じこと聞くカウンセラーがいました。もちろん意図的に聞いてくる人もいますけど、それを考慮してもいろんなことを何回も訊いて、それが初めて聞いたかのようにいうのはちょっと…。さらに事務的なことで何度も確認があるのあ、商売人としてアカンよね。カウンセリングを受けるクライアントは、混乱している人も多いと思います。カウンセラーがそれを聞き取り、どういう方向性で解決に導いていくかをしっかり考えていくためには継続していろんなことを考える必要があると思うし、その時にカルテはどうしても必要になってくると思います。その場では適当に走り書きとかしていても、2回目に行くと「ああ、この人カルテちゃんと、とってるわ」ってなんとなく肌でわかると思います。

③フィーリング

ま、すべてはこれですよね。話し方とかしぐさも含めてすべて。

他にもその人がどんな理論や理屈でカウンセリングしているか知るのも大事だと思います。私は今のカウンセラーのAさんが合うっていうのもあったと思うんですけど、その人の根底にある交流分析の考え方があっていたのもあると思うんです。選ぶときに、そんな視点を入れてみるのもいいかもしれませんよ。スピリチュアルな感じが好きなんだったらそれもそれでありだと思います。私は頭が固いので理屈ガチガチの方が好きです。だから、私は上にあげたCカウンセラーときに、交流分析を理論として心理療法を行っているカウンセリングを探したので、この人にはすぐヒットした気がします。ただ、私自身は認知行動療法はどうかな?と思っていたのですが、Bさんのカウンセリングを受けるとすっと気持ちが楽になるのもあるので、それにとらわれすぎるよくないのかもしれません。

あと、私は自分が心のことで苦労した人の方がいいと思っています。共感率が高い気がする。あと、その人が今いろんな気持ちの制約とかから解き放たれて生きている姿がクライアントの希望になると思うんですよ。ただ、まだ自分の問題が明らかに解決してないよね?みたいなカウンセラーは注意。共依存みたいになっちゃうし。

④自信はあるけど、過信していない人

別にこれはどの職業にも言えるけれども、実践を積んだうえでその仕事ができる自信があることは大事だと思う。ただ、それゆえに、自信過剰に自分のことを過信しすぎている人は信頼できない。「私は昔しんどい思いしてたけど、今は全然大丈夫」「私はこれまで病んだこともないので安心してまかせて」とか言いながら、「いやいや、どう考えたってあなた自身に心理的に問題あるでしょ」って人もいる。カウンセラーなので、自分自身が真の意味で心の安定を図れていて、かつそれをチェックしている(たとえばスーパーバイザーがいるとか)まで意識的にしている人ならいいなーと思う。


カウンセラー選びをあきらめないで

私は今のカウンセラーに落ち着くまで結構いろんなカウンセリングをめぐりました。嫌な気分になったところも多く(自分自身も精神的にしんどかったのもあるし)、もうカウンセリングに行くのやめようと思ったりもしたけど、カウンセラーとの相性ってやっぱりあると思うので、いろいろ行ってみたら出会えると思います。もちろん今のカウンセラーに全く不満がないわけではありません。(私自身の心理面で解決してないところが、そうさせている部分も含めて。)でも、今私に関わってくれているカウンセラーは、私の痛みを心からわかってくれて、かつ私自身が自分の力で明るい未来を切り開けることを信じてくれています。きっとあなたにも、あなたの未来を、あなたの力で切り開いていけるように手伝ってくれるカウンセラーは必ずいると思います。あきらめずに探してみてください。