konnoe’s blog

読書と旅が趣味。人生に疲弊してみたり、希望をもってみたり、、、

2014年ベスト本

2018/09/25更新

2014年の読書ふりかえり

2014年は、102冊の本を読みました。
年間にせめて100冊は読もうというのが自分の中の目標なので、その目標は達成しました!

2014年は、今まで読んだことのない作家を開拓して自分の人生のバイブルになりそうな本も何冊かできたので、いい読書年だったなぁ、と思います。
では、今年のベスト本紹介してみましょう。今年は15冊と多いです!


■■■「いい作家に出会えたなー」編

01 石垣りん石垣りん詩集」


戦後の時間の中で、家族と会社と社会とに、ひるむことなく向き合い、自らを律して生きてきた詩人・石垣りん。『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』から『やさしい言葉』まで、小さきもの弱き者らへの慈しみや孤独な心情を観念や叙情の中に鮮やかに解き放った全4冊の詩集から代表詩を選び、女性の生き方に自由と活気と自立をもたらした言葉の歴史。

石垣りんの生き方は、とても美しい。
強くて、鋭くて、そのわりに繊細さや弱さがある。
生活の醜さと美しさが混在している。
その彼女の詩は、彼女の生き方がそのまま形になったものだろう。
ぜひ一読してみてください。震えます。



02 宮城谷昌光楽毅


古代中国の戦国期、「戦国七雄」にも数えられぬ小国・中山(ちゅうざん)国の宰相の嫡子として生まれた楽毅は栄華を誇る大国・斉の都で己に問う。「人が見事に生きる」とは、どういうことかと。諸子百家の気風に魅せられ、斉の都に学んだ青年を祖国で待ち受けていたのは、国家存立を脅かす愚昧な君主による危うい舵取りと、隣国・趙の執拗な侵略だった。才知と矜持をかけ、若き楽毅は祖国の救済を模索する。

03 宮城谷昌光太公望


羌という遊牧の民の幼い集団が殺戮をのがれて生きのびた。年かさの少年は炎の中で、父と一族の復讐をちかう。商王を殺す―。それはこの時代、だれひとり思念にさえうかばぬ企てであった。少年の名は「望」、のちに商王朝を廃滅にみちびいた男である。中国古代にあって不滅の光芒をはなつこの人物を描きだす歴史叙事詩の傑作。

2014年、私のなかで一番熱かった作家といえば、宮城谷昌光。中国の殷時代のことが知りたくなって、たまたま見つけた「太公望」で、完全に宮城谷昌光にハマってしまった。まさかこんなにはまるとは。もう名言、金言、箴言のオンパレード。そして、それぞれの登場人物の生き様のかっこよさよ!
いろんな場面で頑張ろうという背中を押してくれる作品が多いので(参考記事1参考記事2) ので、これからもきっと読み続けることになると思う。



■■■「幸福とは何か」「人生とは何か」編

04 細谷 亮太『今、伝えたい「いのちの言葉」』


「人間は、亡くなったらおしまいではない。聖路加国際病院副院長、小児総合医療センター長が小児がんの子どもたちと向き合って40年、小児科医としてはじめて知った「生きることの意味」。

たまたま聖路加病院の小児がんと闘う子たちの番組を見たときに、この先生の存在を知りました。どこまでも子どもやその保護者への寄り添いが全力で、この人は何を考えて仕事をしているのだろうと思って、この本を読みました。「命を大切に生きること」を心から考えさせられる一冊です。


05 やなせたかし『わたしが正義について語るなら』

アンパンマンの作者、やなせたかしの一冊。小さいころに「アンパンの世界は食べものに関するキャラクターが多いんだ?」と疑問に思っていたわけです。だってアンパンとか、弱そうじゃん。すぐふやけるし…でもこの本を読むとやなせたかしの戦争体験からくる平和への思いがそこには込められているのだと思った。こんな言葉がある。

…どこかの国で戦争が起きると、戦争している国同士は両方正義だ、悪い奴をやっつけると正義が勝つと言って戦っているけれど、子どもたちのことは見てやらない。そうして子どもたちは次々に死んでいますね。
 だからぼくが何かをやるとしたら、まず飢えた子どもを助けることが大事だと思った。それが戦争体験を体験して感じた一番大きなことでした。

ほんとうの正義というものは、決してかっこうのいいものではないし、そしてそのために必ず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨て身、献身の心なくしては正義は行えません…

正義とは何か、自分の中にもう一度問い直してみたいです。


06  ビートたけし『僕は馬鹿になった。―ビートたけし詩集』

タレントとして好きかと言われるとあまり好きな方ではないけれども、いい詩を書く人だなと素直に思います。私が好きな詩は「騙されるな」です。いつも何かを「頑張れ、頑張れ。とにかく人生で何かを手に入れろ」というようなことを言っていますが、実はもっと大事なことが人間にはあるということを改めて思い出させてくれます。ビートたけしってこんなセンシティブな人なんですね。



07  岸見 一郎, 古賀 史健 『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』


フロイトユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を、「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめた一冊。欧米で絶大な支持を誇るアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な“答え”を提示します。

言わずと知れたベストセラー。幸せになれる答えが詰まった一冊です。
いろいろ考えさせられ、かつ勇気がわく本です(参考記事:幸せについて2014 - konnoe’s blog)。



08 ジョン・キム 「真夜中の幸福論」


悩んでいる読者に向かって、「自分と向き合い、悩みなさい。そして、どんな瞬間も自分を信じなさい」とエールをおくる本。絶対不可侵の、純度の高い自分になるために。

悩みから解き放たれたいという思いから、悩んでしまう自分を責めていた。そこには救いも何もない。筆者はこんな風に言う。

10 代、20 代では、挑戦もそれほどたくさんしていないし、自分が残してきた実績もない。自分の中で強がる自信はあったとしても、自信の裏にある根拠はなかなか探せない。高い目標を目指して一生懸命頑張っているけれど、心の中ではなぜか不安がつきまとっている。でも、それは若い人には当たり前のことだし、若い人の特権でもあるのだ。むしろ、漠然とした不安があるからこそ、もっと信頼できる自分を作ろう、プライドを高められる根拠を作ろう、という動機付けにもなる。若い時代の漠然とした不安というのは、ネガティブな証拠なのではなく、ポジティブな証拠なのである。むしろ、漠然とした不安を持っていたほうがいい

悩んでいい。

同じ著者の『真夜中の幸福論』もおすすめです。



09 岡本太郎『強く生きる言葉』

岡本太郎が普段の生活の中で動きまわりながら、ふっと洩らす言葉。その中から彼の独特の哲学、人生論というべきものを集める。


岡本太郎くらいストイックに生きれたらシビレるだろうな!

自信なんてことを目標にしなくていい。また、すべきじゃない。自信なんてことを考えるから、人の目が気になるんだ。
ぼくは自信があるとは思っていない。自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。

自信に満ちて見えるといわれるけれど、僕自身は自分を始終、落ち込ませているんだ。徹底的に自分を追い詰め、自信を持ちたいなどと卑しい考えを持たないように突き放す。



■■■「日本の古典は面白い」編

10 冲方 丁『はなとゆめ』


清少納言は28歳にして帝の后・中宮定子に仕えることになる。内裏の雰囲気に馴染めずにいたが、定子に才能を認められていく。やがて藤原道長と定子一族との政争に巻き込まれ……。美しくも心震わす清少納言の生涯

11 『むかし・あけぼの―小説枕草子


美しいばかりでなく朗らかで怜悧、しかも文学的才能もゆたか、という類まれな女主人・定子中宮に仕えての宮中ぐらしは、今まで家にひきこもり、渇き喘いでいた清少納言の心をいっきに潤して余りあった。男も女も、粋も不粋も、典雅も俗悪も、そこにはすべてのものがあった。「心ときめきするもの」など、小さな身のまわりの品、事象を捉えて書きつけた『枕草子』の小説。

今年は日本の古典文学を題材にした小説に目覚めた年だったのですが、そのきっかけになったのが「はなとゆめ」です。そしてさらに詳しく読みたいと思って、有名な「むかし・あけぼの」を読みました。
両方とも枕草子にある清少納言への定子への敬愛や宮仕えのへの喜びがひしひしと感じられる。道隆一族が没落していきつつも、必死で定子サロンのきらびやかさを守ろうとした女のプライドもまたいいと思います。二つの清少納言を読み比べるのも面白いと思う。



12 井上 靖『額田女王


大化改新後の激動する時代、万葉随一の才媛で“紫草のにほへる妹"とうたわれた額田女王をめぐる大ロマン。朝鮮半島への出兵、蝦夷征伐、壬申の乱……と古代国家形成のエネルギーがくろぐろと渦巻く中で、天智・天武両天皇から愛され、恋と動乱の渦中に生きた美しき宮廷歌人の劇的で華やかな生涯を、著者独自の史眼で綴り、古代人の心を探った詩情ゆたかな歴史小説

平安の清少納言の物語から一変して、時代は奈良。額田王の話です。「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」ですね。このあたりの歴史の時系列が頭の中でいつも混乱するのですが、わかりやすく面白かったです。額田王によって、中大兄皇子大海人皇子が対比的に書かれているのですが、その二人の描写もよかったです。

3冊ともわかりやすいので、入門書としても◎




■■■自己啓発本

12 水島 広子 『「いつも忙しい」がなくなる心の習慣』

この著者の本はいくつか読んでいますが、私はこれがベストだと思う(今のところ)。「忙しい、忙しい」って言っていても、世間って冷たいもんで「仕事できないんでしょ」とか「効率よくすれば」みたいな感じで対応され、「じゃぁ、お前がしろっての!」とイラつくか、「そうだよね、私って仕事できないダメ人間だよね」と自己否定のどちらかなんですが、そういうイラつく気持ちや、自己否定の気持ちにちゃんと寄り添いながら、解決法を示してくれるところが、好感がもてます。「忙しい!」と感じたら読むようにしています。

13 中村 将「寝る前に読むだけでイヤな気持ちが消える心の法則26」

こういう系の本ってピンとくるものがなかなかないんですが、この本は視点が新鮮でなかなか面白く読めます。この中で私が一番使うのは、緊張するときに満塁ホームランを想像することです。

■■■そのほか

14 沢木 耕太郎 『深夜特急2―マレー半島シンガポール―』

香港・マカオに別れを告げ、バンコクへと飛んだものの、どこをどう歩いても、バンコクの街も人々も、なぜか自分の中に響いてこない。〈私〉は香港で感じた熱気の再現を期待しながら、鉄道でマレー半島を南下し、一路シンガポールへと向かった。途中、ペナンで娼婦の館に滞在し、女たちの屈託のない陽気さに巻き込まれたり、シンガポールの街をぶらつくうちに、〈私〉はやっと気がついた。

深夜特急、昔から気になっていたんですよね。といいながら、読む機会がなかなか現れず…(自分で作らなかっただけなのですが)。1巻を初めて読んだ時は期待が高すぎて、逆につまらなく感じて、だらだらーと2巻に突入したわけですが、ここでなぜか熱がはいってきて面白くなってきました。旅っていいですよね。自分がいったことのない世界へ連れて行ってくれるそんな素敵な時間を堪能できる書です。まだ全巻読んでいるわけではなく、ちまちま読みすすめています。贅沢だわ~!


15 村上春樹「女のいない男たち」

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」から1年、村上春樹、9年ぶりの短編小説集。表題作は書下ろし作品。

やっぱり春樹が好きだ。私は村上春樹を読む前、短編小説集のその中のお話の一つが好きだったりすることはあるんだけれども、短編小説「集」としては楽しめなかった。村上春樹の短編小説集は、もちろん一つ一つのお話を楽しむこともできるんだけど、それが集まった一つの本として楽しんで読める。あ、「楽しんで」というのはもちろん面白いって意味ではなくて、1つの短編集と1つの短編小説の間が「好き」というか、その間に感じる感情がいいというか、気持ちいいというか、なんか言葉にできないけど、話と話の間に感じるなんか「モヤ~」とした感覚が好きなのです。私はこの短編小説集に久しぶりにそれを深く(?)感じたのでこれを2014年ベスト本に選びました。


以上、15冊。2014年は自分の中でヒットした作品が多かったです。


実はこの記事、2014年に途中まで書いていたものを下地に書きました。書き足してみると、悲しいことに、感動が薄れているのがよくわかって、あの時確かもっと興奮してたよな~なんて思いながら、この記事を仕上げました。感動ってそのままでは残しておけないので、冷めないうちに文字にしておくことは大事なので、ちゃんと年度末に振り返りすることは意外に大事なのかもしれません。また、そういうか過去の記事を書き直すことで、その元となる本を読み直す機会が増えるようにも思うでの、それはそれでなかなかいい機会なのかも。。。





過去のベスト本記事まとめ(整理しなおしているところはリンク切ってます)

2013年 ベスト本 - konnoe’s blog
2012年ベスト本 - konnoe’s blog
2011年ベスト本 - konnoe’s blog
2010年ベスト本 - konnoe’s blog
2009年ベスト本 - konnoe’s blog
2008年 ベスト本 - konnoe’s blog
2007年ベスト本 - konnoe’s blog

Kindle Voyageを使っています

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かなり前の記事で「Kindleを購入したので、そのレビューを書く」といいながら、数年放置していました。
今年、kindle unlimitedに入ったりして、私のKindleライフがいっそう楽しくなってきたのでこれまでの経緯をまとめようと書きます。



Kindleは言わずと知れた電子書籍です。
Kindleにも種類があって、私が持っているのは「Kindle Voyage」です。
Kindle Voyage、電子書籍リーダー、Wi-Fi
(「こころ」を使ってる時点で、漱石ファンとしては心浮かれてしまう)
何代前の機種になるんだろうと思ってたら、まだ1代前なんですね。
後継がもっと続々出てきていると思っていました。
うーん、やっぱり「日本は電子書籍の墓場だ」って言われるだけあって、売れてないのでしょうか。
でも、私は好きだよ!電子書籍(というかKindle)!


ちなみに他にどんな種類が出ているのか調べるために使ったサイトは↓です。
比較で書いてあるのでとってもわかりやすいのでぜひ!
www.hitode-festival.com



私とKindle(超個人史)

まず、私がkindleを買うにいたったきっかけから。
昔から家に本は多かったんですが、大学に上がってから飛躍的に読書量があがり、自然と本も増えていったんです。
社会人になってもその傾向は収まらず、天井までの本棚を購入したのですが、それがすぐに埋まってしまい、その時に初めて電子書籍購入を検討しました。
で、いろんな電子書籍を見てたのですが、Amazonのアカウントも持っていたし、大手だしということでKindleに決めました。



Kindle買う前の不安や懸念

電子書籍化されていない本だって多いのでは?
→使ってみたら以外に読みたい本はそれなりに電子化されているものが多かった。さらに最近では電子化されてないと読まなくなった(これはアカン傾向…)っていうか、電子化されてない読みたい本がどうしてもあるなら、普通に買えばいいじゃん!と思った。未だに電子書籍ばかり読んでますか、それでも数冊は紙の本も買ってますね。



・どのタイプを買ったらいいかわからない
→いろんな口コミを参考に!ちなみにKindle Voyage使いやすいですよ。でも私はKindle Voyageが初の電子書籍なので何かと比較して言ってるわけではありません。他の人たちの口コミをみながらKindle Voyageでよかったと思っているだけです。見やすいとか、この機能がいいとか比較してみなわからへん!たた時々、思うのはもうちょっと容量が大きい端末でもよかったかなーとは思うけれども、私は4GBですが不便なわけでもないです(羨ましい)。
Kindle Voyageを購入するなら(他のでも?)、「広告(キャンペーン情報)ある・なし」と「3G回線使える・使えない」機種を選ぶ問題があると思います。まず、広告つきと広告なしがあるんですが、これは断然広告なしの方がいいと思います。少し高くなるけど、ずっと使うことを考えたら、立ち上がるのが遅いのは面倒すぎると思うね。あと、3G回線が使えるやつがあるんですが、家にWi-Fi環境があるならいらないと思います。ちなみに3G回線はマンガは落とせません。家にいる時ではなくて、3G回線まで使ってどうしても読みたいときはケータイのKindleアプリを使っています。
そんなことを言ってしまうと、もうそもそもKindleの端末をあえて買う必要はあるのか、という話になるのですが、ケータイの方が目が疲れるし、あとマンガや画像として文字を読みこんでいる本は読みにくいので、やっぱりkindleを使って読みたいなと思うわけです。



・クレジットカード払いが嫌
Amazonのカードを使えば、クレジットカードを登録する必要なし。コンビニで手軽に買えますよ~



・本の良さが味わえなくなるのでは?
→本の良さを何かという話になってくるんですが。装丁とかページをめくる感じとか、紙のにおいとか…そんなものはなくなります。私も最初はそんなことを思って「なーにが、電子書籍だ」と思っていましたが、電子書籍の手軽さにすぐに負けました。あと、そこまで自分がアナログの本の良さにこだわっていないことにも気が付きました。好きな本だけは、電子書籍を購入しても紙の本で残していますが(無駄)、結局、電子書籍版を読んでいる現状です。



買ってみて思うところ

・手軽に本が読めるのは最大の利点
京極夏彦の本とかよく持ち歩いてたよ、あんなレンガみたいな本」と今では思います。京極本に限らず、厚い本を気軽に外で読めるだけでもいいなぁと思います。あと、旅行とか行くときに本を何冊か持っていきたいけど、重くて持っていけない時とかもいいですね。旅行中にあの本読みたいのに持ってきてない問題がほぼなくなりましたね。快適。


・検索が手軽
「あの言葉どこに書いてあったかなー」と探すときに便利。電子化されているので、すぐ探せます。あと、私は本を読むとき、ひっかかるところに線を引っ張ったり、付箋はったり、端を折ったりするのですが、それも簡単にできて、消すのも手軽でいい。紙の本なら書いてしまったら、古本屋で売れないもんね。



積ん読感がない
これはいいのか悪いのかわからない。部屋が片付くという意味ではいい!でも、積ん読が、恐ろしい量になっていても罪悪感が、薄い…私もたぶん相当な量になっている気がしますが怖くて調べられません。



・試し読みができる
なぜか「試し読みができない」とKindle購入前は思っていて、「電子書籍で買う前に、本屋にいって試し読みをしてそれから家で購入」という面倒な形を想定していました。私は店員の目を気にしてしまうので、家で手軽に読める電子書籍の試し読みの方がいいかな。ただし、数ページ読むことができるだけですので、ざっと全体を試し読みをしたい人には、むいてないかも。
あと、漫画なんかだと、月額料金とかも取られずに1冊丸ごと無料で読める本もあってそれはすごくいいと思います。



・ケータイのKindleアプリと比べて
漫画は確実に読みやすい。画面が大きいから当たり前だけど。Kindleな大半は白黒画面なので、雑誌とかはスマホタブレットで見ています。あとスマホに慣れている人からすると、ページめくりが遅くて、使い始めはイライラさるかも。あと、ページめくりと言えば、めくるときに一回白黒逆転(画面リフレッシュ)するのは知っていたけど、最初は目がチカチカする感覚でした。めくる遅さにしても、画面リフレッシュにしてもなれるし、むしろKindle読んでいる時はそれがないとムズムズすると思います。ちなみに画面リフレッシュの感じは、環境でも変わるのだそうです
yururisto.hatenablog.com



以上Kindleを使ってみてでした。

紙の本より「便利」です。スマホよりは「不便です。」
その両方が組み合わさってそれなりに「イイ感じ♪」で使えるのがKindleだと私は思っています。

電子書籍が初の人は、先にスマホのアプリで試してみるのもありかもしれませんね。

幸せについて2014

「幸せって何だっけ?」と2014年に書いた下書きが出てきたんでアップ。 この頃はこんなこと考えてたのねー

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「幸せってなんだっけ?」とよく考えます。 「幸せを探しているうちは、幸せは見つからない」なんてよく言いますし、「追わない方がいいのかも…」と思ったりもしますが。

最近、幸福大国と呼ばれるデンマークに関する記事と、アドラー哲学の本(『嫌われる勇気』)を読んで、『幸せになるためにすべきこと・考え方』なんかを考えてみたので、まとめておこうと思います。

★変えられないことにこだわらない

他人の気持ちや評価は変えられない。 変えられるのか、変えられないことなのかを見極めることが大切。見極め方の一番シンプルな方法は『最終的な責任は誰にくるか』を考える。

★自分を過大評価しない

自分より優れている人はいくらでもいる。能力が高い人である必要はない。 普通の人間であることを恐れることはない。

★自らを幸せにするための努力を意識的にすること

ほぼノンストップで夜の10時頃まで働くのは働きすぎ。夜、頭痛と吐き気が治まらない時は疲れている証拠。意識的に「働きすぎないようにする」ことは大事!自分の健康と人生の幸福のために生きるべし。 また、好きなことや落ち着くことをしている時間を、人生を幸せにするための時間として絶対確保すること!運動もしよう!

★より大きな共同体を見よう

仕事だけ、家族だけにならず、いろんな共同体に属しておこう。何より人間や、地球、宇宙といった大きな共同体を感じること。

★他者に貢献すること

自分自身で貢献観を作っていくことが大事。他人が褒めてくれることばかりを 私は仲間の為に何かできた!という細やかな貢献感を育もう

★志を高く

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めちゃくちゃ途中で終わってる感じですね。『嫌われる勇気』に非常に触発されたようですね。 でも四年たった今でも「なるほど、確かに。」と思わせてくれます。

まさあきにプリキュアを~ステレ オタイプ思考や毒親を乗り越えて~

意味不明な題名ですが、たぶん中身も意味不明です。マンガとかアニメの話。

プリキュア」と「トクサツガガガ

「まさあき」というのは漫画「トクサツガガガ」(後述参照)に出てくる「任侠さん」と呼ばれる心優しい青年です。彼は、プリキュアを模したであろう子ども向けアニメ「ラブキュート」に夢中なんですよ。下はただ本屋にテレビくんを買いにいった様子です。もうどんな漫画かわかんないですね。

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その任侠さんと一緒に読みたいなと思ったのが下の記事。
アニメ「プリキュア」に関するものです。まだやってるんですね、プリキュア。何代目なんでしょう?

prehyou2015.hatenablog.com
プリキュアさん、すごいな。「男の子だって、お姫様になれる!」だって!日曜日のこの朝の枠のアニメや特撮って、ステレオタイプな考え方、特に性のあり方みたいなものを誇張するようなところあるじゃないですか?プリキュアも、もちろんそういう側面があると思っていたので、こういう一面を見ると「おお!」っとなりますね。



同じ人の記事を読みながら、下の回のプリキュアもすごいなーと思った。
prehyou2015.hatenablog.com

この記事を書いた方の感性もいいわ~

「あなたの事は好きではないですけど、あなたの事は認めます」


って言うのは多様性の基本的な考えですよね。


きちんと「あなたのことは好きではない」を表明した台詞がものすごいと思いました。


何も「全てを好きになる」必要はないのです。
嫌いなものは、嫌いとした上で、それでもその人を「認める」事が大事。

「好きではない」を「差別すること」や「認めない」ことと混同してしまうことって多いと思う。好みの問題とか言いながら、差別してるっていう感じのん。自分もやってしまっている気がする。「私の好みでないだけで、あなたが悪いわけではない」って難しいんだけど、そこを切り開かない限りどーしようもない。
子どもたちがこういうアニメを見ながら、多様な生き方でOKなんだって覚えていって、どんどん多様な生き方が認められる世の中になればいいなぁって思う。


と「プリキュア」で考え、「トクサツガガガ」の話。

で。これを見たときに、「トクサツガガガ」の「任侠さん」こと「まつもとまさあき」のことを思い出したわけですよ。別に任侠さんには、お姫様になりたいわけでも、プリキュアになりたいわけでも、ラブキュートになりたいわけでもありませんが。
トクサツガガガ」というのは、私が今、大いなる期待をもって購読している漫画です。面白いです。現段階で13巻まで出ています。

簡単なあらすじは、主人公のOLである仲村さん(「特撮」オタク)が仲間を見つけたり、特撮見たり、特撮のヒーローショーを見に行ったりとか、いろいろする(←適当)オタクあるある漫画です。
なぜ、私が期待と込めているかというと、このマンガには「毒親との闘い」みたいなテーマもあって、個人的にそれがどういう収束を見せるのかが気になるのですよ。
(ここから下、ちょっとネタバレあるよ)


主人公・仲村さん家の母親はいわゆる毒親っぽい。


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学生時代の仲村さんと母親の会話。毒親感ぷんぷんするじゃないですか。


その母親のステレオタイプなものの考え方に仲村さんが悩み、時には逃げ、また、立ち向かっていく姿が、毒親持ちじゃなくても、ステレオタイプな世の中を生きづらく思っている人の応援になっていると思うんですよ。作者も「ひとつの視点に偏らないように書いている」とあるので、ステレオタイプな物の見方に対してのアンチテーゼは意識してるんじゃないでしょうか。

この漫画のいいところは、”徹底的にそのステレオタイプの思想と対抗したらいいんだけど、それが現実的に軋轢を生みだしたりして「なかなかうまくいかないものではない」”ってところまで描き出しているところだと思う。こちらも人間ができてるわけでもなし、弱い時だってあるし。作中でも仲村さんは、母親との関係に悩み、時には逃げ、乗り越えって行き、乗り越えられず打ちのめされたりします。っていうか、ほぼ逃げるか、打ちのめされている気がします。

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仲村さんは、大人になることで物理的に自立したり、仲間ができることで、母親との心の溝は深まることになる。そんな彼女は、毒濁刃(仲村さんが愛する「獅風怒闘ジュウショウワン」に出てくる剣)で母を倒そうとするわけですが(比喩ですよ)、なかなかうまくいかないんです。
ネタばれなんで言えませんが、現時点で最新刊の13巻では、また二人の関係がすごいことになってきて……ラストに向けて、どうやってラスボスである、母親から仲村さんが勝利を勝ち取るか気になります。


でもまぁ、本当の勝利って何なんですかね。

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(作中の現行特撮、ジュウショウワンの一部。ネタばれ?っぽい台詞は消しています)

ぜひ気になる方、読んでみてください。
えーと、この記事はたぶん、おすすめ漫画についてでした!

2017年 ベスト本

今更ながら2017年ベスト本のお話。

過労のためは21冊しか読んでいません

そもそも2017年はね…本を21冊しか読んでない。

「なぜ?!」と思って去年一年を振り替えると、過労で死にかけてたんだった…
平均、月150時間越え残業当たり前な感じだったんだ。
月80時間が過労死ラインなら、二回死ねそうな感じですよ。
もうゾンビのように生き抜いた一年だったので、本もなかなか読めず。



過労のときこそ本読もう

睡眠の方が大事!
でもやはり「時間がないときこそ本を読め」は金言で、あの精神的にも肉体的にも苦しんだ時だからこそ、きっと本を読んでいたら救われていた部分があるんじゃないか。
今年は同僚が結構、本読む人がいてその人に触発されて、読書習慣が甦ってきた感じ。
そういう人の存在も大事よね。

では、2017年のベスト本いってみましよー



①北川 恵海「ちょっと今から仕事やめてくる」


ブラック企業にこき使われて心身共に衰弱した隆は、無意識に線路に飛び込もうとしたところを「ヤマモト」と名乗る男に助けられた。 同級生を自称する彼に心を開き、何かと助けてもらう隆だが、本物の同級生は海外滞在中ということがわかる。 なぜ赤の他人をここまで気にかけてくれるのか? 気になった隆は、彼の名前で個人情報をネット検索するが、出てきたのは、三年前に激務で鬱になり自殺した男のニュースだった――。

前々から気にはなっていたけど、「あーもう毎回の泣かせる系でしょ?」と思い、敬遠していた。でも、この本を手にとったときが過労感いっぱいだったのであらすじ読んだだけで、主人公に感情移入してしまい、即購入。
ラスト、そんなオチかいっ!と思ったけど、意外にすっと胸に入ってきて「自分の仕事を大切にしよう」と思えました。
また、辛くなった時にこの本を読んで、仕事に真摯に向かっていきたい。
(そして過労を極めていく…)




②Happy「仮面かぶって生きてませんか? マンガでわかる「幸せ」の教科書」


「宇宙の法則」を通じて知った“真理”――。そして、人生でもっとも必要な、“自分自身で在る”こと――。幸せを感じること、自分の感覚で生きること。これらを忘れてしまった方への第一歩としてぜひ参考に。色んな感じ方があると思いますが、何よりも「『あなた』がどう感じるか」を大切に。

いわゆる「引き寄せ」本です。気持ちがつらいと藁をもつかむ思いでスピリチュアルに頼ります。
壺とか買ってしまう心理、すごくわかるんですよ、私は。
とはいえ、こういう引き寄せ本を「うさんくさいなー」と心の底から思うときともあります。
(この文章を書いている時はそんな気分で書いているので、そういうの好きな方の気分は害してしまうかもしれない。すみません。親に素直になれないけどありがとうと言いたい思春期の子どもだと思って温かい目で見てあげてください)
後者の気分の時でも、「引き寄せがあろうとなかろうと、気持ちよく生きれりゃいいよねー」という気分にさせてくれる本です。
極論、もう自分が幸せなら胡散臭くてもなんでも頼るべきだと思う。
(それが後々の不幸につながらないか心配した方がいいとか考え始めてループに陥る…)





③汐街コナ 「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)


過労死・過労自殺する人が「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由を解説しながら、仕事や会社に追いつめられている人がどのようにすればその状態から抜け出し、自分の人生を大切にするための方法と考え方が描かれる。

ただの棒人間漫画なんですけどね。あー、もうこれすごくわかるわー。
とにかく頑張り過ぎちゃう人は、「ヤバくなったら逃げればいい」と思いがちなんだけど、「ヤバくなったら逃げることさえ選択肢としてなくなる」ことは肝に銘じておいたほうがいい。早めに「勇気ある撤退」をしようとリアルに思わせてくれる漫画。
ギリギリまで頑張っちゃう人、読んで!





④田中 圭一「うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち」

著者自身のうつ病脱出体験をベースにうつ病からの脱出に成功した人たちをレポート。うつ病について実体験から知識を学べ、かつ悩みを分かち合い勇気付けられる、画期的なドキュメンタリーコミック!

いろんな鬱のひとたちがいろんな方法で抜け出た(抜け出ようとしている)経験を書いている。「あー、わかるわー」というのも多い。鬱と診断されていなくてもいろいろあって精神が崩壊しかかった人は読んだらいいと思います。上の本と同じく予防的な意味で、頑張りすぎ屋さんも読んだ方がいいと思います。

以上4冊でした

以上4冊が2011年ベスト本。
過労者のための読書案内みたいになっとる(笑)

やっぱりいい本に出会うにはある程度、量がいるなーとしみじみ思った。
先にも書いたけど一番の教訓は「過労のときこそ本読もう」(死なない程度に)

過去のベスト本記事まとめ(整理しなおしているところはリンク切ってます)

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思い出の家族旅行と戦後73年

旅先からの投稿。
旅先でネットが繋がらない環境だったので、ブログの更新もできずにいました。
少しは繋がるんですけど、がっつり繋がってないとどうもブログって書きにくな…。
今日はネット繋がりやすい環境だったので、ひさしぶりのブログ。

今週のお題

今週のお題は、「思い出の家族旅行」とのことで…
さいころ、旅行にはよく連れて行ってもらったので、いろいろ思い浮かぶけれど、
「どれが一番思い出に残っているのか」と聞かれると、どれも楽しかったなという感じでした。
どれもよかったし、あまり嫌な思い出もないので、逆に一番が選びにくいなという感じ。
ただ、一つ言えるとしたら「印象に残っている」という意味での「思い出の家族旅行」は、小学校のころの、広島の「原爆ドーム」に行ったときのことかな。
今日が8月15日だったから偶々思い浮かんだのかもしれないけれど。
お題を出しているヒルトンさんが求めているものではないと思うけれども。
それでも、やっぱり「#思い出の家族旅行」はこれだなと思った。

戦争の凄惨さ

私はどんな内容においても大人になるまでの記憶が結構抜け落ちていて、
(要するに忘れっぽい)だから、先にあげた広島の旅行を全部覚えているわけではない。
とにかく、そんな中でも私が鮮明に覚えているのは原爆資料館にあった「被爆再現人形」です。
今は撤去されているますが、昔行ったことのある人は知っていると思います。
あの人形がとにかく怖くて、怖くて、夜も思い出して眠れなくて、それから数日眠りが浅かったのを覚えている。
あの時はしんどかったけれど、今になって思うとあの恐怖を体験しておくべきだったなと思い、あの場に連れて行ってくれた親にとっても感謝している。
家族旅行ってやっぱり楽しく過ごしたいもんだけど、あれを見るとやっぱりつらく苦しい気持ちになるでしょ。
そのあとにも、家族で沖縄の戦争の跡地を回ったことがあったんだけど、その時も重苦しい空気になってさ。
でも、それってすごく大事なことだと思うの。
家族の楽しく過ごす温かい時間と同じように大事にすべきだと思う。
幼いころ体で感じた恐怖や空気の重さって大人になってもずっと残っていると思う。
その当時の恐怖や苦しみなんてわかるはずないけど、「戦争は恐ろしいものだ」と私の戦争に対する思いの原点はあの人形、あの小学生のころの家族旅行にある。
大人になって友達なんかと旅行に、行くことはたくさんあると思う。
でも、なかなかそんなところ行かないと思うのよね(行く人は行くけどね)。
だからこそ、家族や学校はそういう体験を子どもにさせてあげなきゃいけないと思う。


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この記事を書くにあたって、あの「被爆再現人形」の撤去のニュースを調べてみた。
(↓リンク先にはその画像もあるので、しんどくなるかも。。)
広島・原爆資料館:「被爆再現人形」25日に幕 - 毎日新聞
私も当時勝手に「残酷だからって撤去するのはどうなの?」と、どちらかというと撤去は反対だったんだけど、撤去された経緯が

被爆者から見れば(実相を反映しておらず)人形はおもちゃだ」と指摘。

というのは初めて知った。情けない…
調べると今はないけれども、当時の広島市のHPにもこう書いてあったらしい。

被爆再現人形は、非常に印象に残り、当時の情景を伝えているという展示だというご意見があります。しかし、一方で被爆者の方は、無残な遺体がたくさんあり、男女の区別さえつかず、親子でさえ見分けることができない情景を体験されています。そうした状況からは、被爆再現人形に対して「原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」といったご意見もあります。展示をご覧になられる方の見方によっては、原爆被害の実態を実際よりも軽く受け止められかねません。

広島平和記念資料館の被爆人形は、「怖いから撤去」なのか? - 荻上式BLOG から孫引きさせていただきました)
そうかそんな思いがあったのか、と思いつつ、個人的には、人形は残しつつ、さらに「実態をわかるような」資料(人形じゃなくてもいいので)を作ればいいのじゃないかとも思う。
悲惨な人からしたらあの人形は軽すぎて苦しいんだろう。
そんな適当に作るなという怒りの気持ちがあるのかもしれない。
一方で、被害が少ないから・軽いから、その証言(ここでは人形だけど)をなくしては、いろいろなものがなくなってしまうのでは?と思ってしまう。
もっと被害が重い人がいることをアナウンスするのが大事なのであって、展示物をなくすことがいいとは思わない。
人形残さないことは、さらに凄惨さが軽くなるような気はしなくもない。
自分の体験を照らし合わせてみても、あの人形は原爆の恐怖のわかりやすい収束だったような気もするからだ。


私は未だあの戦争を把握しきれていない

上の記事に限らず、今年になって戦争について知ったり、考えたりしたことががこの夏は多くあった。
下の記事もそう。
「絶望しない国」で生きる、ということ(森達也)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

戦後ドイツを全面的に称揚するつもりはない。ただし自分たちの過ちについて、日本とドイツの意識のあいだには相当な差異がある。戦争における日本のメモリアルデーは、戦争が終わった8月15日と広島・長崎の8月6、9日。そしてドイツのメモリアルデーは、アウシュビッツが解放された1月27日とヒトラーが首相に任命されて組閣した1月30日だ。つまり加害の記憶とナチス体制が始まった日――これがドイツにおける戦後70年の歴史の原点だ。だから彼らは毎年思いだす。なぜ自分たちはナチスを支持したのか。なぜ自分たちはあれほどに残虐な行為に加担したのか。深い絶望とともに考え続ける。だからこそ現実的な選択ができる。


日本人は絶望的なまでに絶望しない。


直後には大騒ぎするけれど、すぐに目を逸らす。責任を曖昧に分散しながら希釈する。個ではなく集団に紛れてしまう。そして同じ過ちを繰り返す。再稼働する。

もちろんそれゆえの強さもある。敗戦からたった十数年で奇跡的な復興を成し遂げた。この原動力に…

日本とドイツの戦争におけるメモリアルデーは「うーん、確かに」と唸るほかなかった。
そんなことを考えたことがなかった自分が恥ずかしくなるようだった。

さいころから夏になるたびに「戦争はだめだ」と教育を様々な場所で受けてきた。
それでもまだまだ知らない知識がある。知らない感情がある。知らない衝撃がある。
まだまだ目を背けていることがある。
どこまで私たちがあの戦争を「把握」できているかというのは疑問だ。
そして、そもそも「把握すること」なんてできるのか、ということもある。
でも、きっとあの戦争を把握しようとする努力の中にしか平和な道は築けないと思う。
戦後70年を超えて、さらにその把握が難しくなっている。

自分が無知であること、目を背けている事実があるかもしれないこと、
そのことを忘れずに私はずっとあの戦争と自分を繋げていきたい。



#思い出の家族旅行

ちょっと贅沢な家族旅行はヒルトンで!
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教免持ってる新卒の方へ。講師登録をしませんか?

2018/09/24更新
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教員採用試験の結果が出ているみたいですね。ここに検索でたどりつかれた方々が、どういう状況かわかりませんが、新しい進路を考えなくてはいけない状況の方も多いのでしょう。
私も10年ほど前(もうそんな前か!)、そんな感じだったので、参考までに、私の講師体験を記しておこうと思います。

体験談が欲しい

10年ほど前、大学4回生の時に教員採用試験に落ちて、「社会人、1年目どうしよう」と考えておりました。
「公立の学校の教員になろう」と思っていたので、「もう一度、来年、教員採用試験を受ける」ことは決まっていました。しかし、採用試験の夏まで「就職浪人(?)をしようか」、「もう院に行っちゃおうかとか」、とか、いろいろ考えてました。企業に受かるために就活する気はさらさらなかったんですが。オイオイって感じですよね。結局、講師登録をした後、常勤講師として働くことになりました。その時に、いろんな迷いがあったので、体験談なんかを知りたかったのですが、ネット上には、意外に転がってなくて……。
あの頃は「誰か書いてよ!」と思ってたんですが、なかなか自分が書ける立場になると、忙しさにかまけて書かないもので…何年後しかで記事にすることにしました。


講師になるべきか?

私は、大学4回生の10月頃に講師登録をしたように思います。(今の時期と違うかもしれませんので、自分で調べてくださいね。)まず、この時点で、自分の能力に自信がなく本当に講師登録をすべきかどうか迷いました。結局、講師登録に踏み切った理由は


・私の場合、働かなければ生活が堕落するに決まっている。
・講師経験をしていれば、きっと採用が有利になるんじゃないか……(あくまでも推測)

というわけで、2つの自治体に講師登録することにしました。




講師依頼の電話がかかってきた!

講師登録をして数か月……「いつまでも電話が来ない!」と思っていたら、3月の終わりに講師依頼の電話がかかってきました。現場にいる人なら知ってると思うんですが、講師っていわゆる数合わせなので、ギリギリにしかかかってきません。「かかってこなかったら、年度始めに仕事探しかよ!」って話ですが、こっちの生活のことなんか考えちゃいないということです。

3月の末までに、トータルで3つの自治体から依頼の電話がきました。(あと、年度が始まったあとの夏休み前に1件。誰か倒れたのか?)教科や校種によっても、違いが出ると思います。数学の先生は引く手あまたでしょう。

自治体の教育委員会の人から電話がくるのですが、待ちに待ってた電話であるにも関わらず、なんと私は1つ目の自治体からかかってきた電話には、パニックになって断ってしまったのです。「新卒の人間に講師なんてつとまるんだろうか。」って、急に不安になったのです。今思うと「何やってるんだ、私…」という感じなんですが、当時は本当にパニックでした。せっかく声をかけてくれたのに、申し訳ない。

あるかわからない就職口を自ら蹴ってしまうバカをしてしまった私は、さらに焦っていくわけです。

 

断ったけど、どうしよう、、、、

気持ちを落ち着けましたが、断ってしまったことへの罪悪感、そして「来年度の働き口がない、どうしよう」と不安にさいなまれました。(自分が断ったくせにね!)
そうやってモヤモヤしている間に(30分後くらい?)もう一件かかってきました。「どうしよう、どうしよう」と相変わらずパニックでしたが、「私は今、就職口がないんだ!」という焦りの気持ちが勝って、イエスの返事をしました。講師として、採用が決まりました。病休の先生の代わりで常勤講師という枠でした。

 

 

決まったけど、まだ不安は続く…でも!

なんとか来年度の働き口が決まりました。しかし、講師依頼を受けたものの、学校が始まるその日までずっと不安でした。「私、卒業していきなり「先生」なんてできるんだろうか?」って。大学の友達で採用試験に落ちた子は、非常勤になる予定の子が多く、「常勤になったら教採の勉強する時間ないから大変」とか「慣れるために非常勤から」と言っていて、もしかして決断をミスってしまったのかもしれないと思っていました。
もし今、私が昔の私に言えることがあるとしたら「常勤講師になると決めた、その決断はグッジョブ!!」と言ってあげたいんだけど、あの頃はずっーと不安でしたね。

 

 

とにかく時間がない!!

「講師として働いている方が、教採では有利になる」と言う人がいるけど、どうかなと思います。今の試験の形がどうなっているのか、イマイチ知らないのですが、今、受けている現役講師の先生方を見ていても単純に講師だから有利とは思えません。私が大学時代に考えていたような「現場の経験があれば…」みたいなことは、ないと思います。残念ながら。

 

もう1つ、残念なお知らせがあるとすれば、現場に入ってみると時間がないというのは、事実です。
現場では、「採用試験の勉強!」などと言ってられません。

私は、1年目、学級担任はありませんでしたが、学校によったら学級担任だってありえます。常勤講師なら、非常勤にはない校務分掌(いろんな事務的な仕事や会議)やクラブ活動もあります。私の場合、何より、授業準備が大変でした。一からの勉強だし。毎日が必死で自転車操業状態。ほとんど採用試験の勉強できずに、夏休みに突入。「いよいよ教採に向けての勉強!」とか思いつつも、クラブと二学期準備と生徒指導でほとんど勉強なんかできず…筆記はボロボロでした。筆記の試験はともかく、面接ならと思ったけれども、講師の特権である現場の知識を生かせませんでした。「講師の経験」って言っても、4月から夏までの経験だし、それにとにかく毎日を駆け抜けている感じだったので、振り返っている暇なんてなかった。だから、面接でも大学生だった去年と同じようなことしか言えなかったんです。案の条、講師一年目は、教採は不合格という結果でした。

それでも私が過去の自分にグッジョブと言う理由

それでも私は常勤講師をしててよかったと思います。勉強する時間はなかったけれども、そこでのたくさんの出会いに支えられて、「教諭」になるために「本気で」勉強するようになりました。
もちろん、それまでも教員になりたかったのは、なりたかったのですが、今振り返ると本気度は低かったように思います。当初は「教員になりたいなら、待遇面を気にしないなら一生、常勤講師でいいんじゃないか?」と、「教諭」である必要性も感じていませんでした。

 

ここで、少し話はそれますが、私は講師時代のことを思い出すたび、ある子(Aとする)を思い出します。Aは傍から見るとしっかり者なんだけど、いろいろ抱えていて私はAの悩みを以前から聞いていました。年度の終わりにA自身に大きい災難が起こりました。いろいろA自身も周りの人間たちも苦労したものの、それ自体はなんとかなりました。その後、私はAに「一緒にこれからも頑張ろうね」と声をかけようと思ったんです。でも、やめました。だって来年は私が代わりをしている病休の先生が帰ってきたら、私はこの学校にはいれないから。別にAは、私がいなくたってちゃんとやっていけるだろうし、卒業したらどうせ離れるんだから「それはそれ」と割り切ればいいし、依存する関係を作るがいいとは思わないんだけど、私自身がその一言を言えない立場であることがとても情けなく思えてきたんです。
そして私はAだけではなくて、今受け持っている子すべてに対して、「そういう立場」なんだと気づいたんです。もちろん教諭になっても、様々な事情で3年間持ち上がりで上がれることは少ないと思いますが、講師である限り、教諭より子どもたちと長いスパンで付き合う可能性は低くなります。

 

 

今、思うこと

そこからの数年は、本気で寝る間も惜しんで必死に採用試験の勉強をしました。で、数年後、合格。私は、あの講師を必死にやりながら勉強した経験も、Aに「一緒に」と言えなかった悔しさも、とても大切だったんだなと今になって思います。(この記事も参考になるかも。)

現場にいると、いろんな経歴の先生に出会います。採用試験受かるために就職浪人した人、大学院を出た人、企業で働いて転職してきた人、非常勤での講師経験がある人…。それぞれの道でいろんな学びをしてきて、だからこそ、それをいかしたそれぞれの持ち味があります。だから、どの道を選んだって間違いではないと思います。

私は、新卒で常勤講師としての道を選びました。まぁ、上にも書いたように「選んだ」なんて偉そうに言えるような流れではありませんが。あの頃は、時間はなく、毎日、満身創痍でしたが(今も?)、私はこの道を選んでよかったなと10年たっても思います。

参考になるかわかりませんが、もし、講師登録を迷っている方がいたら参考にしてください。

 

追記:実は、昨日Aから何年かぶりに連絡がきて、話しているうちにいろいろ思い出してこの記事を書きました。Aに当時の話は覚えておらず、ケロッとしてました。いかに一人で熱くなってたかよくわかる事件でもありました笑